精神文化の基層を形成、北海道の縄文遺跡 伊達市噴火湾文化研究所所長 大島直行氏に聞く

 考古学が今、静かなブームになっている。北海道や北東北3県では、域内にある縄文遺跡群の世界文化遺産登録を目指し、登録推進運動を進めている。そうした中で伊達市噴火湾文化研究所の大島直行所長は縄文の世界は従来の考古学的なアプローチではなく、神話的な世界観を前提とし、心理学や文化人類学、脳科学など広い視点からでなければ読み解くことはできないと訴える。(聞き手=札幌支局・湯朝 肇)

縄文人が崇拝した「月」/生死、再生のシンボル

「津軽海峡文化圏」は縄文時代の礎を築く

400 ――このたび、大島所長は「月と蛇と縄文人」(寿郎社)という本を出版されましたが、その経緯についてお話しください。

 私の長い考古学研究の中でドイツ人の日本学者ネリー・ナウマン(1922~2000年)との出会いは衝撃的でした。彼女との出会いは、私の考古学研究を百八十度転回させるほどのものでした。

 日本の考古学研究は、どちらかというと矢じりの長さや形、縄文土器の文様や制作方法あるいは竪穴住居の組み立て方といったような物質的、技術的側面だけが議論される傾向が強く、縄文人の精神性、世界観などについて論じることはタブーとして避けていました。しかし本来、学問とは考古学を含めて「人間とは何か」を追求するものですから、当然、縄文人に対しても人間としての視点で研究する必要があります。ネリー・ナウマンの研究理論はそれまでの日本の考古学会のタブーを打ち破る画期的なものでした。

 ネリー・ナウマンは、彼女の著書の中で縄文人の思考方法が「呪術的宗教的思考方法」であったと指摘していますが、まさにナウマンの研究とその視点は私にとって目からウロコでした。そこで私はフロイトやユングなどの心理学的思考、あるいはルーマニアの宗教学者ミルチャ・エリアーデあるいは人類学者クロード・レヴィ=ストロースらの思考を基に縄文人の精神性を探る研究に入っていきました。そして、その研究成果をまとめたのが『月と蛇と縄文人』です。

 ――ネリー・ナウマンとはどのような人物だったのでしょうか。

 彼女は1922年にドイツ・バーディン州レーラッハに生まれ、第2次世界大戦中にウィーン大学で日本学を学び、1973年から1985年までフライブルク大学東洋学研究所の日本科教授を務めました。そこで日本の記紀神話研究に多くの業績を残しました。日本にもたびたび訪れ、特に晩年はわが国の縄文文化に大きな関心を払い、宗教学、哲学、民俗学などの視点から縄文人の人間観、世界観を描きました。

 特にナウマンが注目したのが縄文時代の土偶でした。彼女にしてみれば、土偶は女神や単なる妊婦などではなく、ことさら強く表現される乳房とヘソに象徴されるのは、それは縄文土器などからもうかがい知ることができるのですが「月のシンボリズム」として捉えられていることです。

 ――大島先生の本のサブタイトルに、「シンボリズムとレトリックで読み解く神話的世界観」とありますが、「月と蛇と縄文人」を「シンボリズムとレトリックで読み解く」とはどのようなことなのでしょうか。

 前述したルーマニアのエリアーデは、次のようなことを述べています。すなわち、「生成」の象徴と神話は、月と同じ構造をしている。ほかならぬ月こそが何にもまして、流れ、移行、満ち欠け、誕生、死と再生、要するに宇宙的リズム、万物の永遠に続く生成、そして時間を開示するのである」と述べ、月の動きと縄文人の世界観が密接に関わっていることをうかがわせます。このことをヒントに、私は、満月から新月へ、そして満月へ移行する月の動きに生物の「生と死」を関連付け、月の周期と女性の生理が一致することから「再生」の概念を抱き、そうした人間観、世界観、宇宙観を土器や土偶に象徴(シンボリズム)としてレトリック(誇張や隠喩)という手法を使いながら表現していったと考えたのです。そうした手法をとると、縄文の世界をスムーズに読み解くことができるのです。

 ――具体的には、どのようなことが挙げられますか。

 例えば、土器に縄の文様が付けられていますが、これが何を意味するのか、明確な答えが出ていません。単なる飾りではないのです。しかし、「月のシンボリズム」という視点から読み解くことができます。縄文では、それと分かるデザインでしばしば「蛇」が登場します。関東甲信越地方の縄文時代の中ごろの土器に蛇が描かれていることがよくあります。蛇はまさに神話の世界では月と分有する存在として描かれ、女性が身ごもるための水(精液)は月から運ばれてくると考えられていた。

 一方、蛇は脱皮を重ねて成長することから「不死」と「再生」を表しています。蛇がオスとメスで絡め合う姿を縄として表現することで、生成と再生、不死という概念をしっかりと土器に刻んだと考えられます。

 ――日本の多くの考古学者が、神話的思考から縄文時代を読み込むことのできなかった理由は何があるのでしょうか。

 戦後の考古学はマルクス主義の影響もあって、唯物論的な思考方法で研究されてきたことから、神話的思考ができなかったという点が指摘できます。土器を作った行為を「作業」あるいは「労働」という視点からしか見ることができず、結局、人間の合理性や経済効率という観念にとらわれてしまった。だから縄文土器を「鍋」として使っていたという考えが出てくるわけです。また、考古学が神話学に拒否反応を示すのは戦前の皇国史観に関与することへのタブーがあるのではないでしょうか。従って、現在の考古学は、出土品が次から次へ出てくることもあって、その分類作業に追われ、精神世界の分野にまで思考が深まらないという実情もあると思います。

 ――北海道と青森県、岩手県、秋田県の北東北3県は、域内に存在する縄文遺跡群を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録すべく文化庁に働きかけを行ってきましたが、文化庁は昨年8月に推薦を見送りました。これについて大島所長はどのようにお考えですか。

 縄文時代は定住型の狩猟採集社会と定義づけられていますが、縄文時代は決して北海道や北東北だけでなく全国に広がっていました。なぜ北海道と北東北だけを世界遺産にしなければならないのか、という理由付けが明確でなかったというのが見送られた最大の理由です。

 従って、縄文時代における北海道と北東北の意義と価値をしっかりと明記する必要があります。私は縄文時代の特筆すべき点は、単に漁労や狩猟といった暮らしぶりにあるのではなく、1万年以上にわたる長い歴史の中で土器や土偶、さらにはストーンサークルなどを通して表れているように、高い精神性を維持し表現しているところにあると考えています。なかでも北海道と北東北、いわゆる「津軽海峡文化圏」は、1万5000年以上も前から縄文時代の礎を築き、以後、数千年単位でそれぞれ特色ある文化ステージを連続して築き上げていきました。

 しかし、これに対して日本の考古学会は呪術や神話的宗教的な議論には消極的で、4道県が組織する縄文遺跡群登録推進会議でも、そうした見解は推薦書には反映されませんでした。北海道と北東北3県が本当に世界遺産登録を目指すのであれば、縄文人が持っていた「高い精神性」に焦点を当て、それが縄文文化の普遍的価値として認められるものであることを強調していくべきです。

 おおしま・なおゆき 1950(昭和25)年、北海道標茶(しべちゃ)町生まれ。東洋大学文学部史学科卒業。伊達市噴火湾文化研究所所長。札幌医科大学客員教授(医学博士)。縄文人の「心」に迫るため、従来の考古学の枠を超え、脳科学や心理学、文化人類学、宗教学、民俗学などを援用した考古学研究に挑む。縄文文化を新たな視点で読み解き、縄文文化の高い精神性に着目した研究を展開する一方、その成果を普及・啓発するため、北海道各地において「市民縄文会」を設立。北海道考古学会会長、日本考古学協会理事、日本人類学会評議員を歴任。近著に『対論・文明の原理を問う』(共著、麗澤大学出版社)。