「同性婚」一斉提訴、結婚の意義を再確認せよ


 個人の権利や自由に偏って主張する戦後の価値観を典型的に表す動きではないか。「同性婚」一斉提訴のことだ。

 原告は男女間で認められている権利が同性カップルに認められないのは、法の下の平等に反すると主張するが、あまりの論理の飛躍である。この提訴によって明らかにされるべきことは「結婚とは何か」という問題であり、その答えは明白である。

13組が国家賠償求める

 「婚姻は単なる男女の性関係ではなく、男女の共同体として、その間に生まれた子の保護・育成、分業的共同生活の維持などの機能をもち、家族の中核を形成する」(佐藤隆夫著『現代家族法Ⅰ』)と、多くの民法学者が指摘するように、結婚制度とは主に、子供を生み、育てるための仕組みである。従って、自然には出産が想定されない同性カップルを制度の対象外とするのは当然である。

 それでも、同性婚が認められないのは婚姻の自由を保障する憲法に反するとして、同性カップル13組が国家賠償を求めて提訴した背景には、自由や権利を最優先価値と考える風潮があるのだろう。当事者の幸福ばかりを強調することで、子供は男女の間からしか生まれないという生物学的な事実を覆い隠そうとしているように見える。

 結婚とは子供を生み育てるための仕組みというと「子供を生めない男女は結婚してはいけないのか」という反論が必ず出る。そうではない。社会の持続的な発展を考えた場合、子供が生まれることが想定される男女の関係を優先的に保護することが重要であるという考え方を説明しているのである。一方、相手の性別を含め、どのような人を好きになるかは個人の自由だが、生物学的な違いを無視して、同性カップルに夫婦と同じ権利を与えるべきだとの主張は、過剰な要求である。

 現在、わが国では「国難」と言われるほど少子化が深刻化しているが、その大きな要因は結婚の意義と価値を若い世代に伝えることを怠ってきたことだ。もし同性婚が認められれば、子供を生み育てるためという結婚本来の目的を伝えることがさらに難しくなり、少子化に拍車がかかるのは必定である。

 こうした訴訟が起きた以上、司法の場で結婚を男女に限ることの合憲性が確認されることで、個人重視の価値観とLGBT(性的少数者)ブームの中で曖昧となりかけている結婚制度の意義を、社会全体で再確認する作業が進むことを期待したい。

民法は同性カップルを結婚の対象外とするほかにも、幾つかの婚姻障害を設けている。年齢、重婚・近親婚の禁止などだ。ここからも、わが国の婚姻制度は、次世代を育てるため、有性生殖という生物学的な原則と人間のモラルを重ねて一夫一婦制を確立していることが分かる。

他国に倣う必然性はない

 この結婚観を変更して同性婚を認めることは一夫一婦制を放棄し、社会の発展を支えている家族の在り方を根幹から崩すという、極めて深刻な事態を生じさせることになるだろう。同性婚を認める国が増えているからといって、それに倣う必然性はどこにもないのだ。