終戦の日 歴史・平和へ冷静な眼差しを


 きょう「終戦の日」を迎え、先の大戦から73年が経過した。祖国に殉じ、戦火に倒れた300万同胞の御霊に鎮魂の祈りをささげ、この国の平和を守るための決意を新たにしたい。

平成では今年が最後

 来年は天皇陛下の御退位によって、皇太子殿下が新天皇に即位され元号も改まる。きょうは平成最後の終戦の日となる。

 12歳で終戦を迎えられた陛下は、戦争のもたらす悲劇、国民の苦しみを知られるが故に、大変強い平和への思いを持たれている。それはさまざまな機会に語られるお言葉からも、国民のよく知るところである。そのような陛下から戦後生まれの皇太子殿下の御代へと移ることに象徴されるように、戦争世代がさらに少なくなり、戦争体験の風化を心配する声もある。語り継ぐ努力がさらに求められよう。

 一方、時間が経過することで史実を冷静、客観的に見詰めることが可能となるのも事実である。とりわけ先の大戦への評価とそこからの教訓は、敗戦で冷静さを失った時の国民的トラウマを引きずっていることも否めない。戦後の平和主義が軍事的なものを一律に否定し、平和を唱えていれば平和を守れるという空想的なものに堕してしまった理由の一因がそこにある。

 日本が中国大陸での戦争をずるずると拡大し、勝ち目の少ないことの分かっていた米英との戦争に突入していった歴史を冷静に見詰め、道を誤らせたさまざまな原因を明らかにすることが第一歩であるはずだ。

 終戦の年の9月9日、昭和天皇が当時の皇太子に送られたお手紙で、戦争の敗因についてこう語られている。「我が国人が、あまりの皇国を信じ過ぎて、英米をあなどつたことである。我が軍人は、精神に重きをおきすぎて、科学を忘れたことである。明治天皇の時には、山縣、大山、山本等の如き陸海軍の名将があつたが、今度の時はあたかも第一次大戦の独の如く、軍人がバツコして大局を考へず、進むを知つて退くことを知らなかつたからです」。

 昭和天皇の終戦の御聖断の背後には、戦争を続ければ、国民はさらに苦しみ、民族の滅亡を招くという危機感と共に、このような戦略的、現実的な御判断があったとみるべきだろう。

 敗戦ショックの中でGHQ(連合国軍総司令部)から押し付けられた現行憲法の前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。戦後73年を経て、世界の情勢はこれを実現できる状況ではなくなっている。各地で民族・宗教問題による軍事衝突が続く。中国は南シナ海の軍事拠点化を進め、ロシアはウクライナ南部クリミア半島を併合するなど力による現状変更が行われている。初の米朝首脳会談を開いた北朝鮮の非核化の見通しも不透明だ。

現実直視し平和維持を

 戦後の日本が平和と繁栄を享受できたのは、平和憲法のためというよりは、自衛隊の存在と日米同盟による抑止力があったからである。平和を維持するには、先の大戦からさまざまな教訓を汲(く)み取って現実を直視した政策を展開すべきである。