死刑制度、社会正義と治安維持に必要だ
オウム真理教の元代表松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚ら元幹部死刑囚7人の刑執行を受け、執行への批判や死刑制度廃止論が一部で唱えられている。だが、刑事訴訟法は死刑執行を判決確定の日から6カ月以内としている。今年1月に一連のオウム裁判も終結した。妥当な刑執行だ。
日弁連が執行に抗議
今回の7人の死刑執行について日弁連は「6人が再審請求中で、死刑囚にも弁護権や防御権が保障されるべき」だとして抗議し、死刑制度の廃止も求めている。これに同調する動きもあるが、理不尽な主張だ。
上川陽子法相は「一連の犯行は過去に例を見ない極めて凶悪、重大なもので、裁判所が審理を尽くして死刑を確定した。慎重にも慎重を重ねた上で執行を命令した」としている。法に則(のっと)った執行で批判は当たらない。
そもそも裁判を通じて弁護権や防御権は保障されてきたはずだ。判決は執行が猶予されない実刑判決だ。再審請求を理由に執行されないのであれば、時間稼ぎの再審請求がまかり通り、法の正義が歪(ゆが)められかねない。
日弁連は一昨年、人権擁護大会で「死刑廃止宣言」を採択した。だが、大会に参加したのはごく一部の弁護士だ。宣言に賛成したのは546人で、全弁護士約3万7000人の1・4%にすぎない。大会は委任状による議決権の代理行使を認めておらず、これを利用した人権派による政治宣言だった。
大会では作家の瀬戸内寂聴氏が「殺したがるばかどもと戦ってください」などと死刑制度を批判するビデオメッセージが流され、被害者の人権や遺族の悲痛な思いを愚弄(ぐろう)していると批判された(瀬戸内氏は後に謝罪)。被害者支援に取り組む弁護士は「死刑制度反対は被害者への裏切りだ」と訴えた。
日弁連は死刑廃止が国際社会の潮流とするが、死刑の存廃は国の刑事政策の根幹で他国に左右されるものではない。わが国の死刑判決は熟考の末に下されていることを想起すべきだ。
死刑適用をめぐっては「永山基準」(1983年、最高裁)がある。犯罪の動機や殺害方法、社会的影響、犯行後の情状、遺族の被害感情など9項目を総合的に考慮し、刑事責任が極めて重大で、やむを得ない場合に死刑も許されるとしている。
例えば、幼女4人が殺害された宮崎勤事件(88~89年)や大阪教育大付属池田小学校の児童8人殺害事件(2001年)などだ。無差別テロで無辜(むこ)の市民が多数犠牲になったオウム事件も当然該当する。いずれも死刑をもってしか裁けない事犯だ。
池田小事件では遺族が死刑判決の日に共同談話を発表し、「一日も早い死刑執行を願う」と嘆願している。オウム事件でも多くの遺族や被害者が死刑執行を願ってきた。
安易な廃止論を唱えるな
大阪パチンコ店放火事件(09年7月、5人殺害)では死刑の合憲性が争われたが、最高裁は「死刑制度が執行方法を含めて合憲なことは判例から明らか」(16年2月)との判断を示している。死刑制度は国民の支持を得ている。社会正義と治安維持に必要な制度で、安易な廃止論は平和な暮らしを脅かす。