建国記念の日、維新150年に思う国のかたち
きょうは建国記念の日。筑紫の日向から東征し大和を平定した初代神武天皇が橿原の宮で即位された日である。建国を祝い、遠き父祖たちの国づくりを思い、今の日本を考えたい。
天皇を中心軸とし大変革
折しも今年は明治維新から150年目に当たる。慶応3年12月9日(1868年1月3日)に王政復古の大号令が発せられ、幕府の廃止、摂政・関白の廃止、総裁、議定、参与などの三職の設置などが示された。
その大号令は、「諸事、神武創業の始めに原(もとづ)き」と、建国の原点に立ち返ることが示された。徳川慶喜による大政奉還後、どのような政体へと移っていくか流動的な状況の中にあって、天皇を中心とした政体を目指すことを示したのである。
明治維新で、それまで国を閉ざしてきたわが国は、国を開き、積極的に西洋文明を受け入れ始めた。そこから日本の本格的近代化が始まるわけだが、一方で、明治維新には神武創業の初めに帰るという復古的な側面があった。その「復古」と「革新」という一見矛盾する大変革を成し遂げたのが維新の先人たちであった。しかし急激な西洋化いわゆる文明開化を成すことができたのは、天皇という中心軸があったためとも言える。
藤原氏が政治の実権を握る摂関政治の時代、鎌倉時代に始まる武家政治など、時の政治権力の交替を経ても揺るがなかった。そのような歴史の変遷を超えてきた天皇の権威があるが故に、安心して西洋文明を受容することができたとも言える。
またわが国皇室は、飛鳥時代の仏教受容の過程を見ても、率先して大陸や朝鮮半島の文化を摂取してきた。それと同じように明治天皇自ら、洋服を着、断髪するなど、開化の先頭に立たれた。これも急速に文明開化がなされた理由であった。
日本は維新後も、先の大戦の敗北で、大きな試練を迎えるが、それでも天皇を中心とした国体の基本を守ることができた。さまざまな政権の交代の試練を乗り越えてきた伝統の強さがあったためである。わが国皇室を世界最古の王室というのは、言葉だけのものではない。また、それは博物館的、骨董品的な古さをいうのではない。今も時代の変化にしなやかに対応し、その伝統を守り続ける皇室である。そのような皇室を戴くことは、国民にとって大きな誇りである。
今日のわが国を取り巻く国際環境は、幕末から明治維新を思わせるような厳しい環境にある。当時はペリー艦隊・黒船に象徴される欧米列強の西力東漸の中にあったが、今日、ロシア、中国、北朝鮮などの大陸国家からの脅威に直面している。
先人を鑑に国難に当たれ
維新当時の国難に処してこの国を守り抜いた先人たちの努力、国家への献身を思い起こし、今日の困難を克服していかなければならない。戊辰戦争の混乱の中で、英仏が本格的に介入できなかったのは、江戸無血開城を実現した西郷隆盛、勝海舟のような高い見地に立って日本を考えることのできた先人たちがいたからである。それを鑑(かがみ)に今日の指導者とりわけ政治家たちには、党利党略を超えて国難に当たってもらいたい。