原爆の日、平和実現に核抑止力が不可欠


 広島は6日、長崎は9日に「原爆の日」を迎える。投下から71年、犠牲者はそれぞれ25万人、15万人と言われる。深く静かに鎮魂の祈りを捧(ささ)げたい。人類が初めて体験した核兵器の惨禍を知る被爆者の平均年齢は今や80歳を超え、悲惨な記憶も次第に風化しつつある。鎮魂の思いとともに忘れてならぬのは、現代における核兵器と平和との関係である。

米露の軍縮交渉は進まず

 第一に核なき世界が果たして平和かどうかの問題である。確かに、核兵器が完全に廃絶されれば「核戦争」は起こり得ない。しかし戦争の原因がある限り、人はあらゆる方法で戦うだろう。兵器は戦争の手段にすぎない。民族、領土、宗教、経済、イデオロギーなどの対立から戦争が起こり得る。戦争の原因をなくさない限り、平和は達成できないことを知るべきだ。

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71回目の広島原爆の日を前に、多くの人が訪れた平和記念公園=5日午後、広島市中区

 第二に核兵器をすべて“悪”と断じることの是非である。確かに核兵器による被害は悲惨だが、悪いのは核兵器そのものではない。誰が、どの国が、どのような意図で核兵器を保有しているかが問題だ。拳銃の性格が、所持者が警官か強盗かで大きく異なるのと同じだ。中国と北朝鮮は核兵器を保有しているが、両国の国柄や対日関係から考えて、その核兵器はわが国にとって極めて重大な脅威だ。

 これに対して米国の核保有はわが国に大きな安心感を与える。中国や北朝鮮が米国の同盟国である日本に核攻撃を加えれば、日米安保条約に基づいて米国の核兵器で報復を受ける可能性が大きい。その恐怖心が両国の対日核攻撃を抑止していることを認識しなければならない。

 第三にわが国が国連などで核廃絶を主張することの矛盾だ。米の核抑止力に依存していながら、核廃絶をうたうのは欺瞞(ぎまん)と言われても仕方があるまい。

 地球上には約1万5800発の核兵器が存在し、米露はそれぞれ800発以上の核弾頭を短時間で発射できる態勢だと言われる。中国の核兵器は260発、北朝鮮は6~8発とみられる。

 オバマ米政権は2010年、ロシアとの間で新戦略兵器削減条約(新START)を結び、戦略核弾頭の配備数を1550発まで削減することで合意した。だがロシアでメドベージェフ政権からプーチン政権に代わり、一昨年にウクライナ南部クリミア半島を併合したことで米露両国の対立は決定的となった。

 核軍縮交渉は全く進んでおらず、前進の見通しはない。米国の「核の傘」に守られているわが国は、実現の可能性の低い核軍縮を唱えるよりも、米国の核抑止力強化を重視すべきだ。

 「原爆の日」にちなんで、むしろ考えるべきは、核拡散の脅威である。中国や北朝鮮、イランから中東やアフリカのテロリストに核兵器が流出する危険がある。テロリストには核抑止力が効かない。しかも、テロリストから世界各地に核技術が拡散していく危険がある。

保有国は情報管理徹底を

 対策としては、核保有国による情報管理の徹底とテロリスト集団の活動についての情報網の拡大が考えられる。核兵器はその威力故に保有国の責任は極めて大きい。