戦後70年、積極的平和国家への出発点
先の大戦の終結から70年となる終戦記念日を迎えた。散華した多くの若者を含め300万の同胞が国内外で犠牲になった。今日の日本の繁栄は、こうした犠牲の上にあることを忘れてはならない。
きょうは、その尊い御霊に祈りを捧げ、70年間のわが国の歩みを振り返りながら、世界に誇りうる日本国の建設のため新しく出発する日である。
天皇中心の国体を護持
70年前のきょう正午、昭和天皇が日本国民と全将兵にポツダム宣言受諾を伝えられる玉音放送が流れた。その原盤が戦後70年を機に公開されたが、その「終戦の詔書」の終わり近くに次の一節がある。
「宜シク挙国一家、子孫相伝ヘ、確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ、任重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ、総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ」
この詔書において昭和天皇は、困難な道を思いながらも「将来の建設」を心に描いておられた。その祈りは現実となり、日本は奇跡的復興によって経済大国としての繁栄を勝ち取った。
戦後70年を振り返る新聞やテレビは、戦争の悲劇を改めて浮かび上がらせたが、例えば特別攻撃隊の悲惨な側面ばかりが強調され、彼らが日本の未来を信じ国家に殉じていった尊い犠牲を無駄な死のように印象付けるものもあった。同情するそぶりをみせながら、個人主義的な風潮におもねり、結局はその高貴な犠牲精神までも貶(おとし)めようとするものだ。
しかし彼らの奮戦は、実際に米国をして、天皇を中心とした国体の護持と本土決戦前の終戦へと促した。
これがなければ、今日の日本の繁栄はまずあり得なかっただろう。昭和天皇の御一身を擲(なげう)っての御聖断と日本軍将兵の奮戦が、民族の滅亡、分断国家化、共産化から救ったのだ。
満州事変に始まる日本の動きが侵略的なものであったことは否定できない。アジア諸国民に多大な苦痛を与えた。一方で日本が戦った結果、アジア諸国が西洋の植民地支配を脱することになったのも事実だ。歴史は人間の思惑を超えて進んでいく。
戦後70年、日本は過去の反省の下、平和国家としての歩みを続けてきた。その平和主義には情緒的過ぎる面もあったが、経済大国となってからも力を恃(たの)む外交はしてこなかった。これは誇るべき歩みだ。
閣議決定された安倍晋三首相の談話は、過去への真摯(しんし)な反省に加え、戦後70年の平和国家としての歩みを誇りうるものとして評価し、積極的平和主義を掲げて世界平和に貢献していく決意を示した。
国際情勢冷静に見極めよ
戦後の日本の発展は目覚ましいものがあったが、多くの矛盾や課題が浮かび上がっているのも事実だ。覇権拡大の動きを強める隣国によって、安全が脅かされている。
70年前の痛切な体験は、単純な反軍事思想に収斂(しゅうれん)させてはならない。最大の問題は、国際政治のリアリズムを見失った点にこそある。混迷の様相を深める国際情勢を冷静に見極めながら、戦後100年を見据えた世界平和構築の道を模索していかねばならない。
(8月15日付社説)