世界遺産、世界史的な明治の産業革命
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関「国際記念物遺跡会議(イコモス)」は「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」を世界文化遺産に登録するよう勧告した。
正式に登録されれば、国内では昨年の「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)に続いて15件目となる。
近代日本の発展たどる
登録を決める世界遺産委員会は、6月末から7月初めにかけてドイツで開かれる。通常は勧告が尊重される。ただ今回は、世界遺産委の委員国でもある韓国が、構成資産の一部で第2次大戦中に徴用された人々が働かされたことを理由に登録に反対している。
遺産は幕末から1910年までを対象にしており、徴用工問題の時代とは異なる。しかし歴史認識問題との絡みで韓国側は断固反対の姿勢だ。
これに対し、菅義偉官房長官は「政治的主張を持ち込むべきではない」と批判した上で、「十分説明し、理解を求めていきたい」と語り、近々協議を行う考えを示した。韓国側には誠意をもって対応し、できうる限りの努力をすべきだろう。
「明治日本の産業革命遺産」は、幕末から明治にかけての日本の重工業の発展をたどるもので、8エリア23件で構成されている。薩摩藩の日本初の洋式産業群である旧集成館(鹿児島市)、韮山反射炉(静岡県伊豆の国市)など幕末の資産、「軍艦島」と呼ばれる端島炭坑(長崎市)、官営八幡製鉄所(北九州市)、三菱長崎造船所(長崎市)などが含まれる。
構成資産全体で顕著な普遍的価値をアピールする「シリアルノミネーション」と呼ばれる手法で、造船、製鉄・製鋼、石炭の三つの産業を柱に、西洋から学んだ技術が日本文化と融合し、急速に産業国家が形成された過程を示すものとなっている。
イコモスは「一連の産業遺産群は、西洋から非西洋国家に初めて産業化の伝播が成功したこと示す」と評価した。
人類史に大きな変革を及ぼした近代の産業革命に関しては、発祥地の英国に重要な遺産が残っており、「アイアンブリッジ峡谷」や「ポントカサステ水路橋と運河」などが世界文化遺産に登録されている。
これに対して、日本の産業革命遺産は、非西洋地域において初めて近代産業が育ち発展した歴史的な遺産群である。英国のインド支配が象徴するように、かつて西洋列強は、その技術を非西洋地域に伝播しようとはしなかった。それが、わが国において初めて成功した。現在、その成長が著しいアジアの産業化の原点が、明治以降の日本の産業革命にあったと言っても過言ではない。
世界遺産に登録されると、観光地として注目を浴び、多くの人々が訪れるようになる。特に地元では「世界遺産効果」への期待が強い。
理解したい大きな意義
「明治日本の産業革命遺産」は、現在も稼働中の資産が含まれ、必ずしも観光には適さないものもある。しかし、その世界史的な意義という点では実に大きいものがある。まずは日本人自身が、その意義を理解したい。
(5月10日付社説)