建国記念の日、民族と国家の原型見詰めたい


 きょうは「建国記念の日」。初代神武天皇が橿原宮で即位され、国の礎が築かれた日である。建国の歴史に思いを馳(は)せ、これからの日本を考えたい。

 現代に生きて繋がる神話

 敗戦後、GHQ(連合国軍総司令部)によって「紀元節」が廃止された。「建国記念の日」として復活したのは昭和42年のことで、法案提出から10年近くかかった。

 それは、一部の歴史家や当時最大野党だった社会党が反対したためだ。社会党は「神武東征」の物語が、日本の軍国主義や対外侵略に利用されたと主張。一部歴史家は、神武天皇の即位の年月が、学問的根拠に欠けるとして反対した。

 しかし、これらは論理の飛躍が明らかで、多くの日本人の歴史感覚からも懸け離れたものであった。

 もちろん「神話」から「歴史」に移り変わる時代であり、戦いが多かったことは当然である。また百歩譲って、神武東征神話が対外侵略に利用された面があったとしても、その史実ないし伝承自体に責任があるのではない。

 かつてほどの反対はないものの、その影響は今なお尾を引いている。

 世界の国々には建国や独立を記念する日が定められており、多くは近代国家としての誕生を祝っている。そのため、自由や平等などの分かりやすい建国理念が謳(うた)われている。

 これに対し、歴史の古い日本の場合は、近代的な理念ですっきりと提示できるというものではない。神武東征と大和平定の建国物語は、高天原神話や出雲の国譲り、天孫降臨などからの繋(つな)がりの中で語られている。

 それ故に、民族の「原型」を宿しながら、国家の出発点が語られているという点でユニークであり、懐が深いと言える。一見素朴な物語の中から「原型」を探り、また祖先たちのメッセージを読み取ることが、我々に課せられた責任である。

 そして何より、神武天皇以来の歴史は、皇室の存続を通して現代に生きて繋がっていることに目を向けるべきだ。これは、世界史の奇跡と言っていいほどの誇るべき事実である。

 日本は今、歴史を取り戻す作業の途上にある。戦後の反国家主義の流れの中で、自虐的な歴史観が大手を振ってきた。それを改め、より正確な等身大の歴史として認識する作業が始まりつつある。

 しかしそこで避けなければならないのは、周辺国の極めて政治的かつ感情的な動機によって提起されたいわゆる歴史問題に対し、同じく政治的、感情的に応じることである。あくまで、学問的な冷静な立場を堅持すべきである。

 真っ直ぐ歴史に向き合う

 建国の歴史から日本民族と国家の原型を見詰めることの意味は、そういう面でも重要と思われる。

 その歴史は、いたずらに自己を美化するわけでもなく、卑下する姿勢もない。民族の大らかで、時には赤裸々な、時には哀切な物語に満ちている。われわれの先祖が持っていた真っ直ぐな心で、この国の歴史を見ていきたいものだ。

(2月11日付社説)