阪神大震災20年、教訓学び危機管理に努めよ


 死者6434人、負傷者4万3792人(兵庫県発表)を出した1995年1月の阪神淡路大震災から、きょうで20年を迎えた。大震災の教訓を改めてかみ締め、危機管理に努めなければならない。

「減災」対策が最優先

 寝込みを襲った朝早くの地震で、民家や事業所などで火の使用はあまりなかったにもかかわらず、火災が多数発生した。「地震がくれば、まず消火」という防災の基本が十分に守られなかった。大地震が突如起こったため、多くの人がとっさの行動を取れなかったというのが実相だろう。

 しかしその後、救助に当たった6割は近所の人たちで、自衛隊や消防の割合を大きく引き離した。地域のつながりがいかに重要かを物語っている。その後の街の再建においても、住民の自助・協助の精神が大きな役割を果たした。現在、地震後に独居生活を強いられ高齢化した人たちの孤独死の問題が生じており、縁者、地域の協力が要る。

 歴史的に見て、関西地方では1927年の北丹後地震以来大地震がなく、大災害に備えた施設、建造物対策も十分でなかった。行政による安易な都市づくりも非難された。大震災を機にこの点の改善も進み、住民たちの防災意識が高まってきたことは評価できる。

 ただし昨年8月に広島市北部を襲った豪雨による土砂崩れで山の裾野に密集する民家の多くが破壊され、都市計画のずさんさが明らかになった。地震だけでなく豪雨、火山などの自然災害に強い街づくりが重要だ。

 阪神大震災では、被災者救出のため速やかに自衛隊を大動員することが肝要だったが、出遅れた。陸上輸送は無理な状況だったとしても、自衛艦が神戸沖にすぐ出動すれば被災者らの大量輸送は可能で、多くの人が救助された可能性がある。

 当時の首相は社会党出身の村山富市氏で、危機管理という点で指揮系統のあいまいさが問題となった。

 それに対し、今、東京に大地震が起きれば、東北、関東、中部などの自衛隊が一斉にこれに立ち向かう準備が整っている。しかし非常時に訓練の成果を発揮できるかは、指揮官の手腕によるところも大きい。為政者は心してほしい。

 阪神大震災は日本で初めて大都市を襲った直下型地震で、当時東京都は直下型の調査にようやく着手したばかりだった。その調査で注目された一つは地震の予知の可能性。以後、専門家が知恵を絞っているが、今のところ直下型地震の予知はできないというのが、学会の定説だ。

 今、強調されるのは「いかに被害を減らすか」という減災の考え方だ。特に大都会では一人一人が油断なく、平素から家族や地域の人と防火対策や避難ルートなど独自の防災プランを作っておくことが大切だ。

今後の歩みを見守りたい

 阪神大震災から20年経って、我々がそこに見るのは、地震によって家族を奪われ、財産を失い、日々の生活を破壊されながらも、それを克服して街を力強く再建してきた人々の忍耐強さとたくましさだ。今後の歩みを見守っていきたい。

(1月17日付社説)