第1次大戦100年、教訓学び抑止力を向上させよ


 1914年のきょう、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで民族主義者のセルビア人青年がオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻を暗殺した。この事件が契機となって第1次世界大戦が始まった。

「力の均衡」崩れて勃発

 オーストリアは宿敵のセルビアをたたく好機と見た。ドイツは民族的に近いオーストリアを、ロシアはスラブ民族の連帯を旗印にセルビアをそれぞれ支援し、ドイツとロシアの戦争となった。ドイツはフランスにも宣戦布告し、ベルギーに侵攻すると英国がドイツに宣戦布告し、戦火は欧州全土に広がった。

 我々が学ぶべき第一の教訓は、行き過ぎた民族主義のデメリットだ。大戦勃発の背景には、民族主義の高まりによる領土拡張主義があった。この時代は戦争に多くのメリットがあった。内政面では国民の愛国心の血をたぎらせ、団結をもたらした。こうしてサラエボでの銃声は各国によって内政の安定と戦争の正当化に利用されたのである。

 現代が第1次大戦当時の様相と根本的に異なるのは、国家間の相互依存や通商関係が深まったことだ。このため領土拡張のメリットが少なくなった。第2次大戦まではアウタルキー(自給自足経済)が主張され、領土拡張による権益の拡大が国家の至上命令とされた。だが、平和的な通商拡大の方がメリットが多いことを実証したのは敗戦国の日本だった。

 第二は「力の均衡」の大切さだ。欧州では当時、英国とドイツが対峙してバランスが維持されていたが、英国の国力低下がドイツの覇権拡大の動きを加速させた。また、米国が欧州への不関与政策を取っていたこともドイツをつけ上がらせた。当時は「力の均衡」による「抑止力」という概念が希薄であった。

 現在のアジア太平洋地域の最大の不安定要因は、中国の軍事的台頭と拡張主義だ。東南アジア諸国では対中不安が高まっているが、中国への最大の抑止力となっているのは「日米安保体制」である。日米安保条約は単に日米2国間だけのものでなく、一種の「公共財」であることを忘れてはならない。

 米国の「核の傘」の存在も、不安定ながら地域に平和をもたらしている要因の一つだ。核兵器は残酷で、おぞましい兵器であり、確かに全世界で廃絶されれば「核戦争」は起こり得ない。だが戦争の原因がある限り、人々はあらゆる手段を動員して戦うに違いない。核兵器をなくせば、人口が多く強力な陸上兵力を持つ中国に有利となる。

 核兵器による攻撃を止め得る最も効果的な方法は、核攻撃すれば核兵器で反撃されるという恐怖心を植え付けることだ。核による反撃は、戦争を仕掛ける相手側のメリットの全てを否定することになろう。

対中融和政策は不可

 第1次大戦の教訓で忘れてならないのは、台頭して思い上がった覇権主義の国への融和政策は絶対に不可ということである。相手に隙を見せると弱さの表れとの誤解を招くからだ。

 中国の台頭と米国の国力低下で力の均衡が崩れようとしている。日米同盟の強化が対中外交の大前提である。

(6月28日付社説)