富岡製糸場の近代化遺産登録の意義大きい


 日本の近代化の原点となった「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)の世界文化遺産登録が決まった。国内の世界文化遺産は、昨年登録された富士山に続き14件目。自然遺産を含めると18件目だが、近代の産業遺産が登録されるのは初めてだ。

 認められた世界史的価値

 富岡製糸場は国内では、明治の「殖産興業」政策による近代産業化の代表として知られてきた。日本の推薦を受け、ユネスコ諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)は今年4月、「世界の絹産業の革新に決定的役割を果たした」として登録を勧告していた。

 登録によって、日本の近代化遺産が世界史的な価値を持つことが認められた。その意義は大きい。この貴重な産業遺産の保存と活用を両立していきたい。

 富岡製糸場(富岡市)は1872(明治5)年、明治政府がフランスの技術を導入して設立した国内初の官営の器械製糸工場で、当時世界最大規模。日本の主要輸出品だった生糸の品質向上と大量生産に貢献した。

 和洋折衷の木骨レンガ造の操糸場や繭倉庫などの生産設備がほぼ完全に残る。このほか近代養蚕農家の原型とされる「田島弥平旧宅」(伊勢崎市)など4件で遺産は構成されている。

 21日の審査では、20カ国中18の委員国が「産業遺産の素晴らしい例」などと登録への賛意を表明した。フランスの技術を導入しながら、それを日本に適合させたもので「創造のための相互依存の尊さや世界規模の相互理解に光を当てた」(フィリピン)といった評価もなされた。

 非西洋諸国の中で、日本がいち早く近代化、産業化の道を歩んだことの世界史的な意義はもちろん、それが主体的に、わが国が培ってきた伝統や産業の基盤と融合しながら進められたことも大きい。今日に続く日本の技術革新の原点がある。

 富岡製糸場が、明治国家成立から間もない明治5年に設立されたことに改めて驚く。今回の登録を機に、明治政府のリーダーたちの先見性や国造りにかける意気込み、それを受けとめた地元の人々の努力、そして中心的な働き手となった女工たちなど、先人の努力と献身に思いを馳(は)せることも意味がある。

 登録にこぎ着けた理由の一つに、その保存状態の良さがあった。同製糸場は1987年に操業を終えてから、所有者の片倉工業が2005年に富岡市に移管するまで、年1億円以上をかけて修繕などを続けてきた。地元の人々の登録推進活動とともにその努力を多としたい。

 近代化遺産については、これまでわが国での関心が高かったとは言えない。しかし、今回の登録で改めて光が当てられよう。文化庁は重要な近代化遺産、産業遺産の調査・保存の取り組みに着手しているが、一般の関心の高まりがそれを後押しすることが期待される。

 来年も新たな登録実現を

 来年は、幕末・明治の製鉄、造船、石炭工業をテーマにした「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」(福岡、鹿児島など8県)の審査が行われ、今夏頃イコモスが現地調査をする。登録実現への歩みをしっかりと進めていきたい。

(6月25日付社説)