建国記念の日、グローバル時代の拠り所
きょうは建国記念の日。九州の日向を発して東征した神武天皇が、大和を平定し橿原宮で即位したとされる日、かつての「紀元節」である。
皇室を中心として国造りがなされてきたわが国の出発点がここにある。
高校日本史必修化を検討
初代神武天皇の和風諡号(しごう)は、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、または始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)であり、国を始めた天皇であることを示している。
それにもかかわらず、この日が「建国記念の日」として国民の祝日になったのは昭和42年であった。一部の歴史家や当時の最大野党・社会党の反対によって、議員立法提出から10年近くかかった。
一部の学者は、神武天皇即位の年や日にちの史実としての信憑(しんぴょう)性を問題にしたが、それ以前に彼らは、天皇を中心とした国の始まりを認めたくなかったのである。自国の歴史を真っすぐに見詰めることを拒否する姿勢の表れと言える。
このような勢力によって、日本の建国の歴史は、正当な位置を奪われ、さらに日本史そのものが、自虐史観に侵され、軽んじられるようになった。
その結果が、高校の学習指導要領での世界史必修化・日本史選択科目化であった。「国際化への対応」がその理由だったが、あまりに思慮を欠いた迎合的な決定であった。
その後、グローバリズムの時代が到来し、日本人としてのアイデンティティーをしっかりと持たなければ、その大きな波に呑(の)み込まれかねない状況が生まれた。
アイデンティティーの基本となるのが、歴史をしっかりと知り学ぶことで自国への誇りを持つことである。
高校の教育で自国の歴史が必修科目でないという異常な事態は、幸い見直されようとしている。文部科学省は日本史必修化を今夏にも、中央教育審議会に諮問する。できるだけ早く必修に復帰すべきである。
今、近隣諸国が盛んに日本の歴史認識を問題にしているが、大きくみれば、これも日本が自国の歴史と歴史教育を軽視してきたツケと言えよう。安易な政治的判断で歴史をねじ曲げてはいけない。
人類は、これまで領土を奪い合うテリトリーゲーム、冷戦のようなイデオロギーゲーム、経済力を競うウェルスゲームなどを行ってきたが、グローバル化した今日は、歴史や文化を再構成するアイデンティティーゲームの時代に入っていると松本健一氏は指摘している。
依然としてイデオロギー、軍事力、経済力を基礎にしたパワーゲームは続いている。しかし、文化力や情報発信力がものを言うアイデンティティーゲームの様相は強まりつつあるように思われる。
今後はそれらの要素が複雑に絡まりながら、国々の興亡が展開されることは間違いない。
皇室中心の歴史確認を
こういう荒波の中で、日本がしっかりと存立し繁栄を維持していくためには、皇室を中心とした自国の歴史の出発点を常に確認することが重要だ。そして、それを新しい時代に生かしていくべきである。
(2月11日付社説)