建国記念の日 統一の基礎は「和」の精神


 きょうは建国記念の日。神武天皇が大和を平定し、橿原の宮で即位したとされる日である。世界最古の皇室を戴(いただ)き、国民的な和合を保ってきた歴史を振り返り、先人たちの歩みに思いを致したい。

 皇室の存在の大きさ

 現在の世界を見た時、国内に民族や宗教の対立を抱える国は少なくない。米国に見られるように、人種に加え思想や価値観の対立による分断は先進国でも深刻だ。日本でも経済的格差が広がり、価値観は多様化している。しかし、他の国々ほどの対立や分断は見られない。

 これはほぼ単一と言っていい民族構成もあるが、やはり中心に皇室があることが大きい。政治、宗教の対立を超えた皇室が、独楽(こま)の中心のように立っている。世界を見渡した時、改めてその尊さに気付くのである。

 古事記、日本書紀に記された「天壌無窮の神勅」では天照大神が、水穂の国は天孫が「しらす」国としてニニギノミコトを天下らせた。統治せよという前に、まず「知る」ことを命じたことは、民の事情に寄り添う皇室の在り方が示されている。

 また、神武天皇は国内を統一する理念として「八紘一宇」を掲げた。日本は一つの家族であるという思想である。もちろん、その過程において争いはあった。しかし、異民族同士の殲滅(せんめつ)戦のような徹底的な戦いはなかった。このことは、大和王権による国内統一の象徴である前方後円墳の発生やその広がりからも知ることができる。

 考古学だけでなく、分子生物学のDNA解析も、日本は大きな戦争を経ないで国家統一を成し遂げたことを示唆している。大陸などでは力を持った勢力が他を圧倒し、男系は多様性を失うが、日本では父系でのみ継承されるY染色体DNAが周辺民族と比べて多様であることが分かっている。

 このような「和」の精神は、縄文から弥生、大和王権による統一国家を築く古墳時代も一貫して保たれてきたとみられる。

 和合の中心が皇室であることを知る先人たちは、その皇統の継承に苦心した。126代を数える皇統にも何度か断絶の危機があった。6世紀には武烈天皇が後嗣を遺(のこ)さず崩御したため、越前から応神天皇の5世孫、継体天皇が迎えられ即位した。江戸時代には、後桃園天皇の後、傍系の閑院宮家から光格天皇を迎え男系継承が維持された。

 女系天皇、女性天皇の容認論は、国内の融和、統一を保つため、一系の皇統が歴史的に果たしてきた役割、先人たちの苦心をあまりに軽く考えるものだ。

 新型コロナウイルスの感染拡大の中、日本は緊急事態を宣言しても、基本的には国民一人一人の協力に頼らざるを得ない面がある。不十分な点もあるが、他の国では法律で強制しなければできないことを、日本人がなしてきたことは事実だ。

 一致協力でコロナ克服を

 新年のビデオメッセージによる天皇、皇后両陛下の国民へのいたわりと励ましに心を強くしたわれわれである。新型コロナで苦しむ人々と医療現場の最前線で戦う人々への思いを持ちながら、和の精神で一致協力してこの国難を超えていきたい。