建国記念の日 躍動する歴史支えた皇室
きょうは建国記念の日。初代・神武天皇が大和の橿原宮で即位された日である。令和初のこの日を祝い、古事記や、今年で成立から1300年の日本書紀に記された悠久の歴史と父祖たちの営みに思いを馳(は)せたい。
今上陛下まで126代
世界の国々は、それぞれ建国の日を祝っている。しかし、何をもって建国の日とするかは、その国の歴史とアイデンティティーによってまちまちである。
米国は1776年に英国から独立を宣言した7月4日であり、フランスはバスティーユ牢獄(ろうごく)の襲撃でフランス革命が始まった日(7月14日)、中国は1949年、中華人民共和国建国が宣言された日(10月1日)を建国の日として祝っている。
中国は日本以上に古い歴史を持つ国だが、共産党政権が大陸を支配下に置いた時を建国の日としている。フランスも国の歴史は革命以前に溯(さかのぼ)るが、現在の政体と国民的なアイデンティティーが確立された歴史的な出来事をフランス革命と捉えていることが分かる。
この観点からも、皇室を中心とした国のかたちが今日まで続いてきた日本の建国を祝う日を、かつての紀元節、神武天皇即位の日とするのは当然である。
ひところは、神武天皇即位の年代や日にちに実証史学の根拠が薄弱との立場で、否定する論があった。しかし重要なのは、実証的な年月日ではなく、初代天皇の即位をもって建国の日とすることである。
わが国の皇室は、記紀に記された古代天皇の時代から今上陛下に至るまで126代、連綿と皇統が続いてきた文字通り世界最古の王室である。その間、藤原氏などの貴族が政権を握った時代があり、源氏、北条氏、足利氏、徳川氏など武家が政権を争奪してきた。そういう中にあっても、皇室が権威を保ってきたのがわが国の歴史であり、その中で国家としてのアイデンティティーと国柄が形成されていったことは言うまでもない。
テレビでも最近、日本の歴史や歴史上の人物を掘り下げる番組が盛んに放送されている。それに値する興味深い史実や人物が存在するからである。しかもそれがさまざまな時代にわたっており、実に多彩である。
これは日本の歴史が、外からの刺激、あるいは国内的な発酵作用、さまざまな交流や変革を伴う動的でダイナミックな歴史だからである。その中で、政治や経済、文化の担い手が登場して活躍し、その時代を必死に生きた一般の人々がいた。
そのようなわが国の歴史の中心に、皇室があった。その軸があったからこそ、わが国は動的な変化を経つつも、国家、民族としてのアイデンティティーと統一性を保持しつつ、変化に対応し発展してきたのである。令和の御代となっても、この基本は揺るがない。
令和の国造りに邁進を
もちろん、歴史上幾度かの国柄の危機があった。最大の危機は、先の大戦での敗北と占領の時代であった。しかし先人たちの苦闘によって日本の国柄は守られ、今日に至っている。そのことにも思いを致し、直面する課題に果敢に取り組み、令和の国造りに邁進(まいしん)していきたい。