普天間のオスプレイがフル稼働、フィリピン災害救助で在沖米海兵隊が大活躍
一日に2機で160人避難、「最も有能な航空機」
11月8日にフィリピンのレイテ島を襲った超大型台風で甚大な被害が出た際、日本の自衛隊をはじめ、各国は国際的な救援部隊を送り込んだ。その中で最も迅速かつ効率的に貢献したのは在沖米海兵隊で、約2000人の隊員が救援活動「ダマヤン作戦」に参加した。中でも、普天間飛行場(宜野湾市)に配備されている垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの活躍が際立った。(那覇支局・豊田 剛)
台風被害報告を受けて、真っ先に救援活動に動きだしたのはフィリピン政府と災害時の救援協定を結んでいる米国だった。台風の翌日、三沢基地(青森県)所属の海軍哨戒機2機が現地に派遣され、被害状況把握と生存者発見のための捜索飛行を行った。報告に基づき、10日、普天間飛行場から先遣隊90人をKC130輸送機2機で派遣。被害が最も深刻だったレイテ島を拠点に支援準備に当たった。
米軍は、空からはC130輸送機2機、オスプレイ14機、KC130空中給油機3機を投入。海上からは空母ジョージ・ワシントンや巡洋艦2隻、駆逐艦2隻、補給艦1隻が救援に当たった。
米空軍普天間基地の第262飛行隊フライングタイガース所属でオスプレイ操縦士のコーリー・フレデリック大尉も先遣隊の一人。上空から写真を撮ったり測量をしながら被害状況を綿密に調査した。大尉がスマートフォンに収められたフィリピン地図を見せてくれた。そこには無数の点が記されていた。災害支援で立ち寄った場所だ。
壊滅状態だったレイテ島のタクロバン空港を見た大尉は、「被災地の様子は原爆被害があった広島に匹敵する」と第一印象を語った。隊員らはすぐ、インフラに不可欠な空港や道路の復旧に取り掛かった。タクロバン空港では、在沖海兵隊が、世界各国から飛来する航空機の離着陸を統括する管制塔の役割を果たした。
現地では普天間基地所属の14機のオスプレイが活躍。ルソン島のクラーク空軍基地を拠点に、負傷者の輸送に加え、空港のない離島や農村地帯などへ食料品、水、医薬品、装備品などを運搬した。28日までの支援物資の総量は2495㌧に達した。
オスプレイは、滑走路がなくとも平地さえあればどこでも離着陸できるため、災害時には有効だ。また、空中給油ができるため、フィリピンでは最大で一日10時間連続で飛行した。飛行を終えたオスプレイは夜間、整備士によるメンテナンスが行われ、まさに24時間無休の活躍だったという。
東日本大震災における米軍の「トモダチ作戦」にも参加した在沖米海兵隊のカレブ・イームズ大尉は、オスプレイによって従来のヘリCH46ではできなかったことが可能になったと話す。
「もし東日本大震災の時にオスプレイが配備されていれば4時間で被災地に到着できた。CH46は一日に2カ所ぐらいしか着陸することができなかった。ところが、オスプレイは普天間からフィリピンまではわずか3時間で到着。一日に最大7カ所に着陸し、たった2機で160人を避難させることができた」
フレデリック大尉とイームズ大尉ともに、「オスプレイが米軍の中で最も有能な航空機である」と強調する。
フレデリック大尉は「海兵隊は日ごろからフィリピン国軍と、災害対処訓練も含めた合同演習をしているため、ノウハウや情報、機材を共有している。連携は密で、素晴らしいチームワークで活動できた」と振り返る。今回のフィリピン救援活動は「ダマヤン作戦」と名付けられた。ダマヤンとは、タガログ語で「支え合い」という意味だ。
現地で作戦指揮を執ったのは、第3海兵遠征旅団(うるま市)司令官のポール・ケネディ准将。後に在沖米軍トップのウィスラー中将に引き継がれた。在沖米軍がアジア太平洋地域の安全保障の責任を担っていることが改めて証明された。
ダマヤン作戦後もオスプレイの活躍の話題が絶えない。
災害支援後の11月下旬には、沖縄本島の東方の洋上で行われた大規模な日米共同軍事演習に参加した。
また、オスプレイは宮崎県の新田原(にゅうたばる)自衛隊基地で開催された航空祭(12月1日)で一般公開され、前年の同祭よりも7万人多い12万人が訪れた。引き続き、東南アジアのブルネイでオスプレイが公開され、デモ飛行も行われた。イームズ大尉によると、マスコミを含めブルネイ国民は熱烈に歓迎したという。
小野寺五典防衛相は12月20日の記者会見で、来年10月に和歌山県が実施する防災訓練にオスプレイが参加すると発表した。また、日本政府は中期防衛計画でオスプレイ17機購入を検討している。
南西諸島の離島防衛だけではなく、大規模災害時の被災者輸送や物資輸送は、もはやオスプレイ抜きで語ることができないのが現実だ。