翁長知事が初めて駐屯地に、那覇駐屯地で大規模震災想定訓練
陸自と県が初共催
沖縄県と陸上自衛隊第15旅団(原田智総旅団長)は19、20の両日、大規模震災を想定した防災訓練を那覇市の陸上自衛隊駐屯地で行った。「美ら島レスキュー」と銘打った訓練は5回目。これまで陸自の単独主催だったが、今回から県との共催となり、翁長雄志知事が初めて参加した。(那覇支局・豊田 剛)
原田旅団長、米軍資産活用が不可欠
図上および実動訓練には県、陸海空自衛隊、県警、消防、関連企業ら過去最大規模となる100を超える機関から計約1250人が参加した。
「ただいまから美ら島レスキュー訓練を開始します」
こう述べて陣頭指揮を執った翁長氏は、約5分間の緊急対策会議を行った後、会場を離れ、防災を統括する謝花喜一郎・知事公室長に後を託した。
訓練は震度6強、マグニチュード9の強い地震が沖縄本島南東沖で発生し、最大7メートルの津波が到達したというシナリオで行われ、参加者は被害状況の確認、被災者の救出作業の手順を確認した。
沖縄県と那覇市などはこのほど、1981年以前に建てられた大規模施設で市役所やホテル、病院など6割近い施設が震度6強から7の地震で倒壊の危険性が「ある」または「高い」とする診断結果を初めて公表した。
また、沖縄に大規模震災が起きる確率は高く、琉球大学などの研究によると、30年間に沖縄本島が震度6以上の揺れに見舞われる可能性が20%から38%とされる。
それにもかかわらず、県民の危機意識が低い。沖縄県が2015年に実施した意識調査によると、県民の約4割は大規模地震・津波が発生しないと思っている。震災の対策をしている人はごく少数であることが分かった。
在沖米軍は今回、陸海空および海兵隊の4軍の司令クラスがそろって図上訓練に参加した。初めて研修に加わったのが14年。15年と16年は実動訓練のみに参加していた。
県は「米軍には参加要請していない」と強調したが、防災関係者は「有事や大規模震災時で米軍の協力は不可欠。県は緊急時にはイデオロギーを抜きにして柔軟に考えてほしい」と苦言を呈した。
実際、謝花公室長は7月6日、県議会本会議で「那覇空港の米軍使用は絶対に認められない」と明言した。仲井真前県政の企画部長時代に緊急時の使用を容認していたにもかかわらず、自らの見解を覆したのである。自民党関係者は「翁長県政を支える共産、社民(の意向)を“忖度(そんたく)”しているのではないか」と批判している。
実は、翁長氏が自衛隊駐屯地を訪れるのは14年に知事に就任して以来、初めてだ。本人は「日米安保を容認する立場」と強調しているが、「14年間の那覇市長時代も1度しか訪問していない」(自民党県連幹部)。第15旅団の緊急患者の空輸回数が昨年、9000回を迎えた際も、原田旅団長が県庁を訪れ実情を説明したが、翁長氏が駐屯地に足を踏み入れることはなかった。今回、主催者の県知事が出席しないとなれば、批判の声が強まるのは間違いなかった。
9日に実施された那覇市議選で防災の強化を強く訴えた自衛隊出身の自民党公認新人候補2人が当選したことも、沖縄県民の「自衛隊アレルギー」が小さくなったことを裏付けていよう。豊見城(とみぐすく)市では今年度、自衛隊出身者を防災担当職員として採用したが、県内では初めてとなる。
原田旅団長は、「県との共催になり、かなり現実に近い形で訓練の演習ができている」と評価した。ただ、「県民の安心安全は県が責任を持つべき」もので、今後は県が企画段階から責任を持って実施し、「県のリクエストに応じて自衛隊が手助けするのが本来の形だ」という認識を示した。また、「米軍の持つすべてのアセット(資産)を活用すべき」との認識で、ニコルソン中将とも大枠で合意したという。
自衛隊OBで構成される沖縄隊友会の藤田博久会長は、知事が駐屯地入りするのが「遅すぎる」と批判。「今後は県が主導して行うべきだ」と強調した。
那覇市議選で初当選した元航空自衛官大山孝夫氏(自民)の談話
防災は県や市の仕事
自衛官を辞めてまでも市議を目指したのは、自衛隊の活動が被災者を助ける活動に限定されるからだ。東日本大震災の教訓から、被災者を出さないようにするのは政治の仕事だと気付いた。防災は県や市の仕事であり、災害を未然に防ぐことで県民、市民の命を守りたい。
自衛隊の機能を活用するためにも、自衛隊出身の危機管理・防災担当官を置くことが望ましい。自衛隊は唯一、自己完結できる組織なので、活用してほしい。
防災には金と時間がかかる。しっかりと議会で議論する中で、後世に防災の仕組みや安全を残せるようにしたい。
那覇市では低海抜地域から起伏の多い地域まで、地域の特性に応じた防災訓練が必要だ。AED(自動体外式除細動器)を日常生活、学校教育、自治会活動の中で取り入れたい。そうすることで救急や防災の意識が上がっていく。