辺野古代執行訴訟の第1回口頭弁論が開かれた

翁長沖縄県知事、法律論避け政治的主張のみ

「承認取消は違法」に反論せず

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)のキャンプ・シュワブ沖(名護市辺野古)への統合縮小をめぐり、政府が翁長(おなが)雄志(たけし)知事に代わって辺野古沖の埋め立て承認取り消し撤回を求めた代執行訴訟の第1回口頭弁論が2日、福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎裁判長)で開かれた。法廷の場で政治的主張ばかりを繰り返す翁長氏に対して国側は不快感を示した。(那覇支局・豊田 剛)

国側主張 「普天間の危険性除去」白紙に戻る

知事は「外交・防衛」判断できぬ

辺野古代執行訴訟の第1回口頭弁論が開かれた

入廷前、革新団体の集会であいさつする翁長雄志知事(中央)=2日、那覇市の福岡高裁那覇支部前

 2日午後1時半、代執行訴訟の開廷の30分前、近くの空き地で開かれた革新派集会に翁長氏が姿を見せた。数百人の支援者による熱烈な翁長コールを受けて登壇、「皆さんの思いを背負い、沖縄を主張してまいります」と述べ、力強いガッツポーズを見せた。反基地運動の先頭に立つ翁長氏の姿は県知事というよりも市民運動のリーダーのようである。

 沖縄県の行政トップらしからぬ姿勢は、口頭弁論の冒頭の意見陳述で浮き彫りになった。翁長氏は自ら意見陳述で「私は昨年の県知事選挙で『オール沖縄』『イデオロギーよりアイデンティティ』をスローガンに、保守・革新の対立を乗り越えて初当選しました」と前置きした。沖縄の歴史、基地被害の側面を説明した上で、「裁判で問われているのは承認取り消しの是非だけではない。沖縄県にのみ負担を強いる日米安保体制は正常なのか国民に問いたい」と政治的主張ばかりを述べた。約15分間の陳述の中で、埋め立て承認取り消しの正当性については一切触れなかった。

 4日の県議会代表質問で翁長氏は「この裁判で問われているのは、単に公有水面埋立法に基づく承認取り消しの是非だけではなく、日本における地方自治や民主主義の意義であることを訴え、沖縄、そして日本の未来を切りひらく判断をお願いした」と述べ、法律論争ではなく一般論で訴えていく姿勢を明らかにした。。

 原告である国側は法廷で、「裁判所は法的な観点から紛争を解決するために双方の法律論を述べ合う場であり、基地のあり様や沖縄の行く末など政治的な事柄を議論する場ではない」と釘(くぎ)を刺した。

 「仲井真弘多(ひろかず)前知事による埋め立て承認が取り消されれば、長年の懸案であり1996年に日米間で合意した普天間飛行場付近の住民の生命・財産の危険を除去するという計画が白紙に戻る。そうなれば日米間の信頼関係が大きく損なわれ、日本の防衛、外交、政治、経済などに大きな不利益が生じる。移転計画のためにこれまで費やされた何百億円という国民の税金が無駄になる。埋め立て承認処分を放置することによる不利益が、取り消すことによる膨大な不利益を上回るとは到底考えられない」

 承認取り消しの問題点をこう指摘した上で、「適法に取り消すための要件を満たしていない違法な処分で承認に瑕疵(かし)はない」として速やかな弁論終結を求めた。

 また国は訴状で、①県知事には外交や国防に関する重大な事項の適否を判断する権限はない②8月から9月にかけて「集中協議」をしても知事の姿勢が変わらず代執行以外の方策を取ることは困難③辺野古周辺住民の騒音被害などに対しては十分な配慮がなされている④埋め立て承認後も「環境監視等委員会」の指導を踏まえ、環境に相当な配慮がなされている⑤中国の軍事力が広範かつ急速に増強され、東・南シナ海における活動の活発化など安全保障環境が厳しさを増し、合意を履行できなければ米国との信頼関係を傷つける――ことを理由に、「被告(知事)が承認を取り消すことは許されない」と結論付けた。

 翁長氏の政治パフォーマンス色が強い立ち居振る舞いに県議会では当然評価が分かれた。

 革新系野党議員らは「行政判断を全面的に支持」(高嶺善伸県議、社民)。一方、座喜味一幸議員(自民)は「前県政の埋め立て承認は、審査手続きが適正であったかどうかという県内部の事情」と指摘した上で、「国に対し『理不尽』『民主的でない』と批判し、『沖縄の自己決定権をないがしろにしている』と国際社会に発信している」ことを問題視した。

 その上で、「法的根拠を持たない第三者委員会に判断を委ねたのは(翁長氏の)自信のなさの表れ」で、取り消しまで1年間も費やす必要はなく「最初から県民の支持を理由に撤回に踏み切るべきではなかったのか」と政治的判断の遅さを追及した。

 埋め立て承認取り消しの問題で県はさらに、国交相による効力停止の取り消しを求める訴訟を起こすための議案を8日、県議会に提出した。議会最終日の18日に可決される見通しで、年内にも那覇地裁に提訴する方針だ。

 二つの裁判が同時進行されることで、国と県の対立はさらに泥沼化する。