辺野古移設議論は平行線、菅官房長官・翁長知事の初会談
移設の原点、抑止力認識で違い
菅義偉(よしひで)内閣官房長官が4日に沖縄入りし、翌日、翁長雄志(おながたけし)知事と初めて会談した。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設を推進する政府と移設に強く反対する県。この問題では両者が一歩も歩み寄ることなく、会談は「平行線」(翁長知事)のまま終わり、安全保障や抑止力の考えの違いが浮き彫りになった。(那覇支局・豊田 剛)
菅氏は基地負担軽減を強調、西普天間地区返還をモデルに
5日午前9時半、那覇市のホテルで行われた菅官房長官と翁長知事の初会談。記者団に公開されたのは会談の前半部分で、両者が約15分ずつ話した。まず、菅官房長官は、基地問題について、「日米同盟と抑止力の維持、危険性除去を考えたときに辺野古移設が唯一の現実的解決策だ」と強調。「安倍政権は沖縄の基地負担軽減策でできることはすべてやる。目に見える形で実現していく」と述べ、沖縄の経済振興に向けて県と連携する考えを示した。
続いて、翁長知事は昨年12月に知事に就任して以来、これまで会談が実現しなかったことについて「去年の暮れ、あるいは、今年の初めと、どんなにお忙しかったか分かりませんが」と皮肉を述べた上で、菅氏が「粛々と(辺野古移設作業を)進める」という表現を使うことについて「上から目線の言葉であり、使うほど(県民の)怒りが増幅するのではないか」と語気を強めた。
翁長知事はさらに、沖縄の米軍統治下の話を持ち出し、菅官房長官の態度は「かつて『沖縄の自治は神話』と言ったキャラウェイ高等弁務官の言葉と重なる」と続け、不快感をあらわにした。また、翁長知事は前日、記者団に「(普天間飛行場移設の)原点は、県民自ら差し出した基地は一つもないということだ」と述べた。会談でも同様の発言をした。しかし、辺野古にある米海兵隊のキャンプ・シュワブを1956年、久志村(くしそん)(現在の名護市の一部)の住民が誘致したことがある。また稲嶺進名護市長は米軍訓練区域を返還しないよう要請した。こうした事実を無視した発言だ。
会談では「抑止力論争があった。日米同盟の意義についての話もした」と、翁長氏が会談後の記者会見で明らかにした。抑止力を維持しながら、基地の危険性を除去し、沖縄の基地負担軽減が実現できるのは辺野古しかないというのが日米両政府の結論だ。さらに、普天間飛行場の移設先を「最低でも県外」と主張した民主党政権も2010年、辺野古に回帰した経緯もある。
会談の冒頭で「私は日米安保条約に理解を示しております」と述べた翁長知事だが、「近隣諸国の情勢や安全保障にかかる米軍の役割をどれほど理解しているのだろうか」(自民党県連関係者)。中国や核兵器の脅威に対する発言は知事就任以来、皆無に等しい。
負担軽減を象徴するイベントとして西普天間住宅地返還式典が4日、宜野湾市の米軍キャンプ瑞慶覧(ずけらん)で行われた。沖縄担当相でもある菅官房長官が急遽(きゅうきょ)出席することになったのは、政府の基地負担軽減に対する強い決意の表れだ。
菅氏はあいさつで、普天間飛行場について「決して忘れてはならないのは、周囲を住宅や学校に囲まれた普天間の一日も早い危険除去だ。固定化は絶対避けなければならない」と述べ、辺野古移設の推進を訴えた。翁長知事も返還式に参加したが、あいさつの中で普天間飛行場については触れなかった。
西普天間住宅地区は3月31日に返還された。2013年2月に安倍晋三首相とオバマ大統領が首脳会談で米空軍嘉手納基地(嘉手納町)以南にある六つの米軍施設・区域の返還(約1048㌶、東京ドーム約220個分)が合意されたが、今回返還されたのは、東京ドーム11個分に相当する約51㌶だ。
返還地のうち東側半分は国際医療拠点として整備される。がん治療の重粒子線治療施設、琉球大学医学部、同付属病院が入る予定だ。残りは人材育成施設、住宅と公園となる予定だ。
4日の初顔合わせ、5日の初会談について、菅、翁長両氏は「話し合いの第一歩」と評価した。しかし、沖縄の基地負担軽減策と経済振興策、将来の沖縄ビジョンを示した菅官房長官、そして、米軍施政下の話を持ち出し被害者意識をむき出しにしながら辺野古移設反対ばかりを強調した翁長氏の価値観の相違が浮き彫りになったにすぎない。