共産・与党の翁長革新県政 待ち受ける「組合天国」
《 沖 縄 時 評 》
偏向予算で保守潰しも
沖縄県では昨年12月の総選挙で、4小選挙区すべてで自民党が敗北した。自民候補はそろって復活当選したものの、自民全敗の衝撃は大きい。
11月の知事選で米軍普天間飛行場の名護市辺野古沖への移転に反対する翁長雄志氏が当選、その余勢を駆って翁長陣営が「オール沖縄」を旗印に統一候補を擁立。県都・那覇市を含む1区で共産党の赤嶺政賢候補が初当選、2区では社民党の照屋寛徳氏が5選を果たした。自民は「逆風」を推し戻せなかった。
とりわけ共産党にとって赤嶺氏当選は全国唯一それも18年ぶりの小選挙区での勝利だった。これによって共産党は翁長県政の与党の地歩を固めた。総選挙での共産主義系政党の得票率(比例)は、全国では共産党11・37%、社民党2・46%の計13・83%だが、沖縄では共産党14・29%、社民党14・65%の計28・94%と断トツに高い。
◆一点共闘の“陥穽”
本土では共産党と社会党(当時)による社共統一戦線の革新自治体は高度成長時代(1960~70年代)の「遺物」だ。それが沖縄では今年、翁長革新県政として本格的に始動することになる。
総選挙で不破哲三元共産党議長(84)は9年ぶりに街宣車に立ち、沖縄での「自共対決」を強調した。選挙後、不破氏は朝日新聞のインタビューで「沖縄では基地反対の共闘が始まった時、まさか選挙でも共闘するとは誰も考えなかった」とし、「一点共闘」と呼び統一戦線の成果を誇っている(14年12月26日付)。
統一戦線とはレーニンの戦略だ。ロシア革命(1917年)では「戦争反対、人民に土地とパンを」をスローガンとする一点共闘で、他党派を結集し帝政ロシアを打倒した(2月革命)。革命後、ケレンスキー内閣(連立政権)が登場したが、共産党は11月革命(暴力革命)で1党独裁政権を樹立した。統一戦線つまり一点共闘はボリシェヴィキ(少数派)の政権奪取の常套手段と言ってよい。
このレーニンの革命戦略を踏襲する日本共産党は、まず統一戦線をもって民主連合政権を樹立し、その後に社会主義革命を展望する。これが二段階革命論だ。前者は一点共闘(反米・反安保)による連立政権、後者は1党独裁を目指す共産革命で、「革命が平和的になるか、流血になるかは『敵の出方」』で決まる」(宮本顕治『日本革命の展望』)と考えている。
不破氏は宮本元議長の申し子で、その“遺伝子”を志位和夫委員長が継承する。「オール沖縄」の一点共闘は日本革命の模範的な取り組みと位置付けているに違いない。むろん反辺野古だけでは県政は成り立たない。共産党は与党となった沖縄革新県政で何を目指すのか。
過去の革新自治体の「教訓」から今後の沖縄県政の行方を探ってみよう。かつての革新自治体と言えば、京都府(蜷川虎三氏)や横浜市(飛鳥田一雄氏)、東京都(美濃部亮吉氏)、大阪府(黒田了一氏)などが知られる。京都では「寅さん」の個人的人気、東京では「福祉の美濃部」のバラマキ行政で、「革新の灯台」を誇ったが、低成長時代に入ると「打出の小槌」(財源)が消え、政策が行き詰まって70年代末に終焉(しゅうえん)した。
その間、共産党や左翼団体は(おそらく沖縄にも持ち込むだろう)さまざまな手法で勢力拡大を図った。
◆発言権を増す組合
第1に、「組合天国」「公務員天国」の出現である。
沖縄県知事選と総選挙では多くの組合が翁長陣営を支持した。自治労県本部(12800人)、全駐労(6300人=1区は自主投票)、沖教組(3500人)、県労連(5000人)、高教組(3000人)、国公連(700人、1区は自主投票)は組織を挙げて運動し、各職場で発言権を増した。
美濃部都政の場合、共産党は都庁内で手当たり次第に機関紙『赤旗』(現、しんぶん赤旗)を拡大した。購読しない幹部職員は上(知事サイド)と下(職員組合)、さらに横(共産党都議団)から責め立てられ、出世街道から脱落した。
黒田府政も同様で、『赤旗』が府庁の机の上に溢(あふ)れ、あまりのひどさに副知事の岸昌氏は「共産府政の犠牲者は私一人で結構」との言葉を叩(たた)き付けて辞職した(岸氏は79年、知事選で共産候補を破って当選)。
京都の場合、中内広・共産党府議団長(当時)は次のように証言している。
「幹部職員がなかなか(蜷川)知事のいうことを聞かんということがあったのです。最初は…。これに対しては共産党が先頭に立って、住民の要求をひっさげてその部長と団体交渉をやる、知事の方針とちがうじゃないかということで、徹底的にこれを追及していって、悪い職員はやめさすという方向へもってゆく」(共産党機関誌『議会と自治体』1970年11月臨時増刊)
与党・職員組合は要求をゴリ押しした。東京では水道・下水道局員に業務手当、主税局員に税務手当、清掃局員に調整給といった特別手当を乱発。幹部ポストも人事掌握に利用し、革新都政3期12年間に局長級ポスト2・3倍、部長級2・1倍、課長級1・5倍に膨れ上がった。
この“成果”を盾に組合は選挙のたびに職員に「臨時カンパ」を強要し、億単位の膨大な資金を集めて革新系候補に投入した。組合天国・公務員天国で規律は乱れ、汚職事件が続発した。
放漫行政が成り立ったのは、高度成長による税収膨張が背景にある。沖縄県では13年末、仲井真弘多前知事が安倍首相と直談判し、3400億円の沖縄振興予算を獲得、2021年度までの振興計画期間内に毎年3000億規模の予算確保の道筋をつけた。
だが、反辺野古の革新県政にこのまま膨張予算を投入すれば、組合天国・公務員天国のために使われかねない。県予算がどのように執行されるか、県民の徹底監視が不可欠と言える。
◆反対勢力締め付け
第2に、革新勢力の拡大と「保守潰し」が市町村レベルにまで繰り広げられる。以下も京都の例である。
「住民の要求を行政に大衆政治方式としてぶっつけていくかたわら、部落に『赤旗』を購読させ、主婦たちのために憲法の学習会を開かせ、党活動を拡大」(灘井五郎・元共産党府議=前掲書)したという。蜷川知事は共産党系住民運動に補助金を出した。
また府下の市町村を革新と保守に色分けし、補助金などで締め付けた。「反蜷川の市町村ですね。これも若干は京都にありますが、そういうところでは、その補完がうまくいかないわけでやらないわけですが、そこで偏向行政だというのが、ちょっと出てくるわけです」(中内広氏=前掲書)。
ちょっとどころではない、猛烈な偏向行政がまかり通った。府から退陣を迫られた大槻嘉男元亀岡市長は「イデオロギーの違うものには、ことごとに圧迫が加えられます。府道補修をぜんぜんやってくれない。それでも市長はまだ独自の事業がいくらかできますが、町村長となると、まったく弱くなります。交付金を減らされますから」(本田靖春『京都で何が起こっているか』)と証言している。
先の沖縄県知事選では県内40市町村長のうち、翁長氏支持を鮮明にしたのは7人にとどまり、仲井真支持は中山義隆・石垣市長や桑江朝千夫・沖縄市長ら19人にのぼっている(沖縄タイムス11月14日付)。
それが「オール沖縄」の実態だが、翁長知事は京都のような偏向行政で反対勢力を締め上げていくのだろうか。翁長革新県政の行方を注視すべきである。
(増 記代司)