生殖補助医療の「影」、医師関与の生命創造

親知らぬAID子の苦悩

 生殖補助医療の技術進歩は目覚ましい。不妊治療における人工授精、体外受精などがあるが、これらが夫婦間で行われている限りにおいては、人間の自然な生殖能力を補助する技術として、それほど問題は起きない。しかし、第三者が関わった治療となると、自然の摂理に反する行為で、もはや補助の域を超えて「命の創造」に近く、親子関係の複雑化という倫理面の問題が浮上する 。

 例えば、次のような例もある。性同一性障害(GID)の女性が「男」に性別変更し、女性と結婚した。夫婦間では妊娠できない妻が第三者の精子を使って人工授精(非配偶者間人工授精=AID)し、出産した 。

 そして、元女性である「夫」が、生まれた子供を実子として認めるように求めた裁判で、最高裁は昨年末、それを認める判断を下した。「妻が婚姻中に妊娠した子は夫の子と推定する」との民法規定を根拠にしたものだが、生殖能力のない夫に実子ができることになり、一般には違和感を持たれる判断である 。

 もっと極端なケースになると、娘夫婦のために代理母となった母親が“孫”を出産。また、海外には、GIDで性別変更しながら生殖能力を残した「夫」が出産した。ここまで極端になると、もはや医療技術の“暴走”としか言いようがない 。

 わが国では、女性の晩婚化が進んだ影響で不妊治療を受けるカップルが増えている。その結果、現在は32組に1組が生殖補助医療の力を借りて生まれる状況だ。その中にはAIDで生まれた子供も含まれ、父親との血のつながりがないにもかかわらず、民法上「嫡出」とされている子供たちもいるから厄介である 。

 普通の夫婦がGIDカップルと異なるのは、AIDによる出産であることを告げなければ、子供はその事実を知らずに人生を送ることができる。しかし、自分の生物学的な父親がどこかにいると知った時の子供の苦悩は避け難く、アイデンティティーの破壊という人間にとっては深刻な状況に陥る 。

 「中央公論」4月号が特集「生殖医療は、人類の福音か?」を組んだのはそんな問題が表面化しつつあるからだろう。その中で、慧眼(けいがん)の論考と言えるのが生殖補助医療の「自己決定」の危うさを指摘した東北大学大学院教授水野紀子の「当事者の『願望』を叶えるのが法の役目ではない」 。

 水野は、GIDでありながら親子関係を認めた最高裁判断に明確に反対の立場を取る。その理由は、単に血縁関係がないからということではない。人間にとって、自己のアイデンティティーの重要なファクターである「自分の両親が誰か」が分からないという苦悩を抱えることになる子供を中心に考えるからだ 。

 その上で、水野はAIDについては、禁止しても実際には行われ続けることが考えられるから、「医師のコントロールの下」で限定的に行うべきものとするが、GIDによるAIDには強く反対する。普通の夫婦の場合、AIDで生まれても、子供は父親を自分の父親だと信じることはできるが、戸籍に性別変更の事実が記載されるGIDでは「子どもが自分の父親を父親と信じる可能性を最初から奪われている」。しかし、最高裁がGIDの夫の訴えを認めたことで、自己の出自に苦悩する子供が今後増える可能性がある 。

 生殖補助医療については、不妊に悩む夫婦側に立って肯定的な評価を下すマスコミがほとんどだが、水野は「『自己決定』に委ねられることが最も危険な領域の一つ」とした上で、「病気の治癒を超えた医師の関与による生命の創造であって、それは『親』希望者の意思や自己決定だけでは正当化できない」と反対する 。

 「中央公論」の特集に論考「生まれてくる子どもの視点で考える」を寄せた医師の鎌田實も水野と同じ視点に立つ。「親の我が儘だけで子どもを欲しいというのではなく、責任を忘れないでほしい」という鎌田は、両親の離婚で養子に出されて育った。だから、不妊に悩む夫婦には温かいまなざしを向けつつも「養子」や「里親制度」も子供が欲しい夫婦の選択肢である、と説いている 。

 一方、読売新聞医療部記者の酒井麻里子は論考「『卵活』はどこまでできる」で、将来出産できるよう、卵子を凍結する若い女性が増えている背景に晩婚化で不妊治療を受ける女性の増加があるとした上で、「女性の社会進出や家族形態の変化など成熟した社会になったことと引き換えに、医学的に妊娠に適した年齢での妊娠・出産が難しくなったのだろうか」と現状分析する。しかし、発達した医療技術がわがままから子供を「創造」する人間を増やすことになるなら、そんな社会はとても「成熟社会」とは言えまい 。

 水野が指摘したように、GIDや不妊に悩む夫婦に同情し、生殖補助医療を肯定的に評価するマスコミ論調がほとんどだが、生殖補助医療の暴走を防ぐのが言論界の責務。特別養子縁組や里親制度を生かすことを促す論考がもっと増えることを期待したい。

 編集委員 森田 清策