分かってきた新型コロナウイルスの正体 

インフルより怖くない、8割は2次感染起こさず

 新型コロナウイルス感染で、政府が緊急事態宣言を発出してからもうすぐ半年。感染者の減少傾向が続いたが、ここにきてそれが鈍化してきたので、油断は禁物だ。

 一方、感染者が爆発的に増える兆候はないこともあって、国民が毎日発表されるPCR検査陽性者数に一喜一憂する風潮は弱まるという良い傾向も出ている。これも政府、自治体、国民一人ひとりが努力した結果だろう。また、そうなった要因の一つは、謎だらけだったウイルスの正体が少しずつ分かってきたからだ。

 「Wedge」10月号が特集「新型コロナ こうすれば共存できる」を組んだ。特集は五つのパートに分かれ、「正しく理解し正しく恐れる新型コロナの“正体”を徹底解説」「『感染症対策と社会経済活動の両立』を促すために真に必要なこと」「『行政の無謬性』を払拭し試行錯誤を許容できる社会に」など、テーマを見ただけでもさまざまな視点からバランスの取れた企画を組んだことが分かる。実際、読み応えがあった。

 その中に、慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室特任助教、坂元晴香の論考「新型コロナは“ただの風邪”ではない でも恐れすぎる必要もない」が載っている。また、特集のリード部分で、「治療という意味では、新型コロナと、これまで私たちが診てきたウイルス性の肺炎との間に大きな差はありません」という聖路加国際病院・救急部長の石松伸一医師のコメントを紹介している。このコメントや前出の論考の見出しを見れば、新型コロナの正体は素人でもおおよそ分かる。

 「Wedge」の論考で、坂元は2月から3月の患者の動向を分析した結果、新型コロナの特性として分かったことを幾つか挙げている。①8割の人は2次感染を起こさず(次の人に感染を連鎖させず)残り2割が感染を拡大させていた②この2割の一部が、“スーパースプレッダー”とされ、複数の人に同時に大量の感染を引き起こす③クラスターはいわゆる「3密」で発生している―などだ。

 坂元の指摘で注目したいのは、次の点だ。「個々人の間での感染予防はあくまでもマスクや手洗い(接触・飛沫感染対策)であり、3密の回避はクラスター発生の予防であるということだ。一部、3密を回避していれば感染そのものを防げると思っている人もいるが、それは違う」というのである。3密回避の目的については筆者も誤解し、感染予防だと思っていたが、そうではないという。

 マスクや手洗いで個人の感染を防ぐとともに、3密を避けることを進めてクラスター対策を中心に据えた日本の対策は初期の感染の収束には成功した。だから、坂元も「欧米諸国と比較して人口当たりの死者数が桁違いに少ないのはもちろん、同じアジア各国と比較しても、日本の突出して高い高齢化率を加味すれば、初期対応としてはある程度うまくできたと言えるだろう」と評価している。

 その上で、これからは「ある程度の感染者を許容しつつ、社会経済活動を再開させるのが現実的だ」としながら、そのための課題として次のことを指摘する。

 「誰を守るのか」「社会の何を守るのか」についての国民的なコンセンサスがまだ確立していないことだ。これについては、かねてから言われていることだが、重症化しやすい持病のある人と高齢者への感染を防ぐとともに、医療崩壊を防ぎ死者を減らすことに尽きる。

 坂元は、われわれが今後行うべきこととして、次の三つを挙げる。①正しい感染症対策を続けること②一見すると相反する政策が行われることを理解し許容すること③感染者の発生を過度に恐れないこと―だ。

 また、PCR検査についての理解不足ということも課題となっている。「検査体制の拡充は重要だろう。しかし、『全員PCR検査』をしても死亡者数を減らすことにはつながらない。陽性者数が増えるだけであり、社会をいたずらに混乱させるだけだ」と指摘したのは順天堂大学医学部特任教授で免疫学の第一人者、奥村康(「自粛ストレスこそがコロナ禍の『癌』」=「Hanada」11月号)。

 さらに、奥村は「テレビや新聞は連日、『新規感染者数』を報道している。これもまったく意味がない。『感染者数』は陽性者の数であり、発症者の数ではない。陽性者とは、検査でウイルスが『いる』と判定された人たちのこと。陽性でも発症していない人を『感染者数』にカウントするのはミスリードではないだろうか。そのなかには、もちろん擬陽性(ぎようせい)の人たちも含まれている」と述べている。つまり、厳密に言えば、PCR検査の陽性者=感染者ではないということになるが、それが理解されていないのだ。

 「いつでも、誰でも、何度でも」をうたい文句に、世田谷区の保坂展人区長が打ち出した同区独自のPCR検査体制「世田谷モデル」が話題になっているが、奥村は「検査をすれば安心」ということについて「理屈としてはそうだが、医療経済、社会経済の視点からみると、まったく意味がない」と突き放している。

 結局、奥村は昨年1月だけのインフルエンザの死亡者数1685人、9月3日時点の新型コロナの死亡者数1334人を挙げ、このデータからも新型コロナはインフルよりも「怖くない」と結論付けている。

 厚生労働省は早ければ10月中に、入院対象を原則、高齢者や持病がある人らにする方針だ。入院対象を絞ることで、医療現場の負担を減らし、重症者の治療に重点を置くのが狙い。それができれば必然、死亡者が減ることにつながる。

 新型コロナは2月、政令で指定感染症とされ、感染症法上の2類相当に位置付けられたが、無症状も入院勧告の対象にするなど、エボラ熱などの1類とほぼ同じ扱いとなっている。感染症対策は、ウイルスの正体が分からないうちは厳しく、分かったら緩めていくというのが原則。厚労省の見直しは、新型コロナの正体がある程度把握できてきた証左でもある。さらに、医療現場からは、2類相当から外すことを求める声が多い。

 その一方で、いまだに恐怖を煽(あお)る論考もある。「文藝春秋」(10月号)で、「政府は、国民に規制と犠牲を求めるばかりで、診断と隔離の抜本的な対策を何もしない」と、政府批判を展開したのは東京大学先端科学技術研究センター名誉教授、児玉龍彦(「コロナ対策『情報』は社会の中にある」)。

 児玉は「現在の『専門家』の場合は、検査拡大に失敗したので、その言い訳をするうちにもっと悪質化してしまい、日本で検査拡大を失敗させて、成功例が出ないようにすることを目標にするまでに落ち込んでしまった」と、PCR検査拡大を重要視しない専門家を悪し様に言っている。その上で「死屍累々の十月を迎えれば、専門家も政治家も反省することなく、総懺悔論を展開し皆悪かったで終わることにするつもりだろう」と述べている。

 前回のこの欄でも触れたが、児玉は7月、参院予算委員会の閉会中審査で、「国の総力を挙げて(感染を)止めないと、ミラノ、ニューヨークの二の舞いになる。来月には目を覆うようなことになる」と訴えたが、その予測は見事に外れた。また10月が「死屍累々」にならなかったなら、児玉はどう釈明するのか、是非聞きたいものだ。

(敬称略)

 編集委員 森田 清策