いつの間にか消費税推進派に転向しながら懲りずに対立軸を描く朝日
◆以前は反対の急先鋒
台風禍ですっかり話題に上らなくなった消費税増税。軽減税率やキャッシュレス払いでのポイント還元も気にしないで生活している? わずかの間に慣れたのか、メディアに溢(あふ)れる災害報道が消し飛ばしたのか。人の意識は魔訶(まか)不思議なものである。
とりわけ朝日である。10月1日付社説は「5年半ぶり消費増税 支え合う社会の将来像描け」と肯定的に書く。平成元年に消費税がスタートした際、反対の急先鋒(せんぽう)だったが、どこ吹く風の体である。消費税の生みの親、竹下登氏も草葉の陰で苦笑していよう。
戦後日本は昭和24年のシャウプ勧告以来、直接税が主流の歪(いびつ)な税制だったので、間接税が求められた。大平内閣の「一般消費税」(昭和54年)、中曽根内閣の「売上税」(62年)があったが、潰(つぶ)された。消費税は三度目の正直だった。
当時、共産党は日本中に反対ビラを撒(ま)いた。いわく、「子供が百円玉をもって駄菓子を買いに行っても、3円足りず泣いて帰る」「大型間接税は戦争の申し子」「消費税の真のねらいは、ズバリ軍備拡大」。これに朝日が呼応した。
消費税をリクルート事件などと「逆風3点セット」として竹下内閣を攻撃した。当時の自民党幹事長は安倍首相の父、晋太郎氏で「一糸乱れぬ挙党体制」で成立させたが、竹下内閣は倒れた。後継の宇野内閣はその年の参院選で歴史的大敗を喫し、その5年後、朝日が悲願とした非自民党政権が誕生した。
こんなふうに朝日は消費税を標的にした。それがいつの間にか消費税容認論に転向し、今や積極的推進派だ。読者への説明責任はどうなっているのだろうか。
◆租税抵抗煽った当人
朝日8日付の「税への抵抗感、強い日本 『お上が取り立て』、欠ける『公』の意識」と題する記事は「日本は、税への負担感、いわゆる『租税抵抗』が強いとされる。不公平な税制のあり方や『無駄遣い』への怒りはもちろんだが、根源的な税に対する忌避感はどこから来るのだろうか」と言っている。
これには思わず、えっと唸(うな)ってしまった。そもそも「個」ばかりを強調し、「公」の精神を忌み嫌い、「租税抵抗」を煽(あお)ったのは朝日ではなかったのか。これまた、どこ吹く風だ。
記事によれば、戦後、政府は「個人の自立」に重点を置き、公共事業などを通じて雇用の確保を最優先にし、税収が増えると、社会保障の充実に使うよりも所得税の減税を繰り返した。「政府は戦後一貫して、税の必要性をしっかり説いてこなかった。そうした姿勢が税への忌避をいっそう強めた面がある」(佐藤滋・東北学院大学准教授)とする。
愚論である。個人が自立しないで、どう生きるのか。終戦直後、就業人口の5割近くが農業だった。そのままの日本なら今はない。工業、サービス業へと雇用を拡大し、所得を高めた。そんな雇用者から所得税を天引きする重税感が批判され、それで所得税を減税し、間接税を導入した。
政府は税の必要性を説いてきたが、「根源的な忌避感」をもたらしたのはマルクス主義の階級国家観にほかならない。政府を支配階級の「悪」と断じ、税金を搾取と決め付けた。
◆自助があっての共助
朝日記事は「みんなで支え合って生きていこうという社会を作りたいのか。それとも、自己責任で生きていこうという社会がいいのか。税は、根源的にはそれを問うている」とし、懲(こ)りずに対立軸を描く。
だが、両者は対立しない。自己決定権は左翼の常套句だが、決定したことには責任が伴う。だから自己責任は批判される筋合いはない。責任を持たない自己無責任な人がいくら集まっても「支える社会」はつくれず、崩れ果てるだけだ。自己責任を持つ人が共に助け合ってこそ、社会は成り立つ。自助があっての共助だ。
第72回新聞大会も「自由で責任ある報道」を誓っている(各紙17日付)。自由で責任あるのは新聞だけでない。個人も社会もそうだ。朝日はいつまで国民を愚弄(ぐろう)するのか。
(増 記代司)