韓国の旭日旗批判に沈黙する朝日は社旗と新聞の矜持を捨て去るのか

◆本社屋上に社旗描く

 昭和4(1929)年の秋晴れのある日、斎藤茂吉ら4人の歌人が朝日の本社機コメットに乗り込んで、「空中競詠」をした。それから90年、これにちなんで朝日の看板コラム『天声人語』の執筆記者が朝日ヘリに乗り込み、歌人らの航路をたどり、〈われより幾代か後の子孫ども、今日のわが得意をけだし笑はむ〉との茂吉の歌を紹介し、「時代が違っても、空への憧憬(しょうけい)、空での高揚は少しも変わらない」と結んでいる(2日付)。

 何ともうらやましい秋晴れの空中散歩である。「コメット」が気になってネットで探ると、「航空歴史館」とのブログに朝日旧本社(有楽町)の屋上に展示されている写真が掲載されていた。今日のセスナ機より重厚で、茂吉ら4人が優に乗れたのだろう。

 「人語」子が乗ったのはヘリとある。こちらも気になって朝日のHPを開くと、東京本社の屋上ヘリポートの写真が出てきた。目に飛び込んできたのはヘリよりも屋上に大きく描かれた「社旗」だった。ヘリが着陸する目印には申し分ない。むろん下の道路から見えない。

 朝日社旗は「旭旗を素に白地に赤く朝日を表したもの。朝日の部分に題字と同じ書体で白く『朝』の文字が入る」とウィキペディア(フリー百科事典)にある。いわゆる「旭日旗」である。

 社旗の歴史は古く、明治にさかのぼる。だからコメットの胴体にも描かれている。もちろん現在のヘリにもあるから、「人語」子も見たはずだ。「少しも変わらない」のは「空での高揚」だけでなく、社旗もそうである。

◆かつては「反韓媚朝」

 その旭日旗を韓国政界やメディアは「帝国主義の象徴」と断じ、昨秋、韓国・済州島での国際観艦式で海上自衛隊艦船の掲揚を拒否したため、派遣を中止する騒ぎがあった。今夏は東京五輪・パラリンピックで競技会場への旭日旗の持ち込み禁止を唱えている。これに対して産経は「韓国の難癖 旭日旗批判を突っぱねよ」(8月31日付主張)と機敏に反応している。

 ところが朝日は沈黙だ。韓国国会が9月30日、持ち込み禁止を求める決議を可決したが、朝日は国際面の短報欄で報じただけだ(10月1日付)。決議は旭日旗だけでなく、同様のデザインも対象としているので朝日社旗も該当しよう。もっとも朝日は韓国内で社旗を掲げていないというから、韓国人は知らないか。

 この動きに対して自民党の衛藤征士郎外交調査会長は「(決議は)異常だ。国権の最高機関の国会としての対応をせねばならない。…対応せずに見守ると、彼らは『これで、よし』としてしまう」と訴えている(産経3日付ネット版)。こういう時こそ、朝日に「旭日旗」の汚名を晴らしてもらいたいが、無反応。まるで「これで、よし」である。

 かつて朝日は「反韓媚朝(びちょう)」だった。韓国を「反共独裁国」となじり、北朝鮮に媚(こ)びたからだ。1950年代から60年代に北朝鮮を「地上の楽園」と報じ、それを信じた在日朝鮮人とその日本人妻らが帰国し、「地獄」に落とされた。

 71年9月には編集局長が訪朝し、日本のメディアで初めて金日成主席と会見。この実現のため同年2月に在日朝鮮総連の要請を受け入れ、北朝鮮の表記を「北朝鮮」とし、他メディアもそれに従った。

 産経が「北朝鮮」に戻したのは92年、読売は99年だが、朝日は最後までこだわり、2002年12月28日付からだ。実に30年余、「共和国」と呼んだ。ちなみにNHKは朝日の方針に倣うように翌03年から「北朝鮮」とした。

◆韓国左翼勢力と共闘

 韓国で左翼勢力が勢いづくと、今度は「親韓(左翼)反日」で、「慰安婦」「強制連行」で共闘するようになった。韓国が旭日旗を問題にするのは文在寅政権になってからだ。これに朝日が同調するなら、社旗を捨て去ることになる。それとも日本の新聞の矜持(きょうじ)を守るのか、茂吉も彼岸から見詰めていよう。

(増 記代司)