スーパー台風襲来の問題提起しながら骨太の対策は語らぬ東京・朝日

◆児童犠牲の室戸台風

 今週、また台風がやって来そうだ。そのたびに大阪出身の筆者は小学校での「台風授業」が蘇(よみがえ)る。吹く風は時計と逆回りだから、木々の揺れる方角を見て台風の位置を知りなさい。台風の目に入ると、風がやみ青空が見えたりするが、それで安心して外に出てはいけない。先生の話には悲壮感が漂っていた。

 それもそのはず、室戸台風の生々しい記憶が残っていたからだ。昭和9年9月21日、高知県室戸岬を通って近畿地方に上陸、約3000人の犠牲者を出した。とりわけ大阪市の小学校では多くの校舎が倒壊し、教職員や児童ら267人が亡くなった。大阪城公園にはその殉職・殉難者を慰霊する「教育塔」がある。ネットで調べてみると、今年は10月27日に慰霊祭が開かれるという。

 この室戸台風の上陸時の最低気圧は910ヘクトパスカル。この記録は今も破られていない。先に千葉県を襲った台風15号は関東直撃では最強とされたが、それでも955ヘクトパスカル。地球温暖化で懸念される「スーパー台風」は今に始まった話ではないのだ。

◆被災女児の作文紹介

 東京9月26日付社説は戦後の甚大な台風被害の筆頭に挙げられる伊勢湾台風を取り上げている。昭和34年の同日、高潮が東海地方の沿岸を襲い、愛知県を中心に5000人以上の犠牲者を出した。上陸時の最低気圧は930ヘクトパスカル。それから60年、東京は名古屋に拠点を置く中日が本社だけに忘れることのできない惨事だろう。

 社説は「語り続けて、いつまでも」と題し、「体験を語り続けることが悪夢を繰り返さない方策の一つでもある」として6人家族でたった1人生き残った小学4年女児(現在70歳)の作文を紹介する。

 その上で室戸台風級の「スーパー伊勢湾台風」が60年前と似た経路をたどって襲来すれば、死者最大2400人、被害額は20兆円に上ると警鐘を鳴らす。日頃、賛同しかねる論調の多い東京だが、この社説には同意する。

 思い起こせば、災害対策基本法は伊勢湾台風が契機となって制定された。当時の総理は安倍首相の祖父である岸信介氏。被災地の名古屋市にいち早く「中部日本災害対策本部」を設置し、現地本部長に益谷秀次副総理を派遣、「速戦即決」で救援・復興を進めた。

 こういう危機管理センスが東日本大震災にあれば、原発事故を含めて復興の道筋が違ったのではないかと悔やまれる。民主党の菅直人政権では望むべくもなかったが。

 では、今日的な対策はどうなのか。残念なことに東京はスーパー台風襲来の問題提起をしておきながら、肝心の対策についてほとんど語らない。社説の末尾に「早め、早めの手を打つことだ」とするだけで、「手」の中身がなく拍子抜けだった。

◆必要な緊急事態条項

 朝日26日付は伊勢湾台風の「今こその教訓」をリポートしている。「国は2015年、水防法を改正。従来の計画規模以上の『想定し得る最大規模』の洪水や高潮に備えた避難体制づくりを進める」と国の取り組みを紹介、「超大型の台風や高潮、荒川と江戸川の氾濫(はんらん)などが同時に起きた場合、東部5区を中心に広域避難する都民は最大で255万人に上る」とし「浸水想定、公表まだ5都県」と対策の遅れを批判している。

 確かに対策は遅れている。だが、「今こその教訓」は避難だけだろうか。民主党政権時代に蓮舫氏ら「仕分け人」によって廃止に追い込まれた「スーパー堤防」は必要ないのか。255万人も避難すれば、それだけで首都崩壊を招きかねないが、そうした危機管理はどうするのか。こうした骨太の災害対策に朝日は沈黙している。

 伊勢湾台風に臨んだ岸信介氏なら「今こその教訓」をこう言うだろう、「憲法に緊急事態条項を」。それは安倍首相の悲願でもあるが、朝日も東京も反対だ。それで小手先の対策でお茶を濁している。

(増 記代司)