高齢ドライバーの免許証「自主返納」を促す主張を変えた週刊朝日

◆母子死亡で議論沸騰

 今、車―と言えば、あおり運転問題が前面に出ているが、もう一つ、高齢者運転の是非の問題がある。4月19日に東京・豊島区で87歳男性の乗用車が暴走し、自転車の母子2人がはねられ死亡、10人が負傷する事故が起きた。法定速度の2倍近い時速90㌔台後半が出ていた。

 これを機にマスコミが一斉に高齢者運転の事故問題を取り上げたが、週刊朝日は6月21日号で「高齢者運転 乗っていい人ダメな人」と題し扱った。

 「早めに自主返納 促す家族はプライドに配慮も」の見出しで、「あきらめずに高齢ドライバーを説得していくことしかない」と、高齢ドライバーの退場は当然として、その促進の旗を振った。

 返納を促すときに守るべきとして「返納を促す7カ条」を挙げ、「〇本人は運転能力の衰えに気づきにくい。家族や同乗者が説得を〇無理強いして相手のプライドを傷つけない。じっくり話を聞く〇返納は計画的に。退職などを契機に、いつ運転をやめるか考える」など「過信は禁物」として免許を自主返納すべきタイミングや、渋る本人をその子が説得する方法などを紹介した。

 悲惨な事件の残像が色濃く世間にある時だったから、当時のマスコミ一般の反応も「高齢者は自主返納」の大合唱に近く、それに合わせた主張だ。

◆「流れに乗る」が重要

 ところがそれから2カ月余り後の、同じく週刊朝日の8月30日号では、「高齢者運転事故を防ぐ最前線ルポ」のタイトルで、「93歳ドライバーの悲痛な叫び『公共交通が少ない』」の見出しの記事が載った。

 「高齢者が大きな事故を起こして批判を浴びているのは、車に乗らなくても困らないほど公共交通機関の発達した大都市の話です。一方、過疎地の人たちから車を奪えば生活していくことができない。それなのに、年だからもう運転するなと言われても。まるで、高齢者は早く死んでほしいと言われているようです」というのが93歳のドライバーからきた投書。

 これに対し「超高齢化社会を迎えて(中略)車の運転が不可欠な高齢者も増えている。簡単な解決策は見つからないが、医療面からアプローチする病院がある」と解説。以下、「自動車運転外来」の病院などを紹介している。

 これは6月21日号の、高齢ドライバーの自主返納を決め付けたのとは真逆の主張であり、高齢ドライバーの存在にいかにも同情的だ。週刊朝日はその時々に、時流に乗って異なる主張の記事を書いたとしか思えない。自分の手足として車を必要とする高齢者が少なからずいることは、前々から分かっていたはず。

 昔、筆者は都内で、その卒業生の運転事故率が最も低いと評判の自動車教習所に通ったが、その時の主任教官が事故を起こさないようにするには「車の流れに乗る」、ハンドルを持つか持たないかは「自己責任」とよく話していた。4月に起きた元高級官僚の車が母娘を死亡させた事故は、流れに乗るという感覚に破綻を来した上の暴走とみられる。

◆「自己責任」の追及を

 運転感覚の把握とその異常についての認識は、本人しか分からない。もちろん、曲がる際にウィンカーを出し忘れたり、反対車線を走ってしまう…などの運転の初歩的な過ちとしても現れ、同乗者もその危うさに気付きドライバーを説得したりするようになる。しかし最終的に自分の運転の具合を総括できるのは本人しかいない。運転を続けるかどうか、そんな迷いの中で起こす大半の事故はやはり自己責任ということになる。週刊朝日はまず「自己責任」の視点を明確に指摘すべきだった。

 記事では、また「高齢者の事故を防ぐためには、認知機能の低下をどう防ぐかがカギ」として、認知機能をMRIによる脳の画像診断などに求めているが、データに頼り過ぎるのはどうか。

(片上晴彦)