国体を左右する肝心な時に本当に保守の矜持を示せるのか問われる読売

◆試金石は「皇位継承」

 令和初めての「慰霊の8月」が終わろうとしている。心残りなのは今年も総理をはじめ閣僚全員が靖国神社に参拝しなかったことだ。安倍政権は「保守」とされるが、全閣僚不参拝は「あの悪夢の民主党政権」と同じ風景である。

 またトランプ米大統領が日米安保条約は「命」をなげうっても互いに国を守り合う双務性に欠けるといった問題提起をしたが、「保守」は現状維持に執着して取り合わない。いったい保守とは何なのか。

 佐伯啓思・京都大学名誉教授に言わせれば、「矜持(きょうじ)を失った保守」である(産経20日付「正論」)。戦後日本人は「平和」と「豊かさ」を無条件に受け入れ、日本人の持っていた矜持、つまり「独立・自立の気風」を失った。保守主義とは「人間のもっとも根源的な尊厳と矜持をできる限り守ろうとする精神」で、「(令和の時代は)ほんとうに『保守』が問われる時代となろう」と予言している。

 それで新聞を考えてみる。全国紙で保守といえば、さしずめ読売と産経であろう。中でも最大部数を誇る読売は本当に保守なのか、問われるのではあるまいか。その試金石となるのが皇位継承論議である。10月に「即位礼正殿の儀」、11月に「大嘗祭」が行われ、それと並行して皇位継承論議が俎上(そじょう)に載る。

◆女性・女系天皇を容認

 読売は小泉政権時の2005年、有識者会議が「女性・女系天皇容認」「男女を問わず長子優先」の皇室典範改正案を答申した際、朝日・毎日と歩調をそろえ賛成した。その理由に「男系維持困難」を挙げ、女性・女系天皇容認論に与(くみ)した。

 女性天皇は推古天皇をはじめ8人10代おられるが、いずれも男系の女性天皇で、女系天皇は誰一人としておられない。しかも女性天皇は全員が未亡人か独身で、幼い男子皇族の成長を待つまでの“中継ぎ”として即位された。男系が連綿と続いてきたのが、わが国の皇統である。

 それで当時、三笠宮寛仁殿下は皇籍離脱した元皇族の皇籍復帰や現在の女性皇族(内親王)が元皇族(男系)から養子を取れるようにするといった代案を示されたが、朝日は黙れと言わんばかりに「寛仁さま 発言はもう控えては」との社説を掲げ(06年2月2日付)、読売は沈黙した。その後、悠仁さまがお生まれになると、慎重論へと転じたが、皇位継承論議で読売はどんな立ち位置を示すのか。

◆国立追悼施設に賛成

 もう一つは靖国問題である。これも05年の小泉政権時のことだが、総理参拝に反対論が渦巻いた。論拠は、首相の参拝する心情は分かるが外交問題に発展しており国益のためにやめるべきだという国益論、A級戦犯の合祀(ごうし)が問題になるから分祀(ぶんし)すべきだという分祀論、靖国神社とは別に無宗教の施設を造って追悼すべきだとする国立追悼施設設置論の3点だった。

 毎日と東京、日経は国益・分祀論に立ち、朝日は靖国撲滅論を思わせる国立追悼施設設置論を主張。これに対して産経と本紙が参拝賛成論を張る中で、読売は「国立追悼施設の建立を急げ」(05年6月4日付社説)と朝日に同調し、「靖国神社が、神道の教義上『分祀』が不可能と言うのであれば、『問題解決』には、やはり、無宗教の国立追悼施設を建立するしかない」と言った。これは読売の本心なのか、分祀を促す“脅し”なのか、理解に苦しむ内容だった。

 これに対して産経は「国立追悼施設に反対する」(同6月7日付主張)とし、「外国の圧力でできた無宗教の追悼施設などに誰が行くだろうか。そんな施設に税金を投じるのは無意味かつ無駄である」と異議を唱え、読売と対峙(たいじ)した。

 こんな具合に世間では保守とされる読売だが、皇位継承や靖国問題となると、世論を気にしてか、それとも洞が峠を決め込むためか、まるで左派紙のような態度を見せる。国体を左右する肝心の時に、読売は本当に保守の矜持を示せるのか、令和の時代に問われるゆえんである。

(増 記代司)