新聞が京アニ放火殺人犯の家庭環境を書かぬのは戦後言論の悪しき風潮

◆罪犯す要因は家庭に

 明治、大正期の慈善事業家、留岡幸助にこんな言がある。

 「仮令(たとえ)父母ありと雖(いえど)も其(その)家庭紊乱(びんらん)して秩序なく、実に罪悪の練習所と異ならず。彼等は実に知らず識(し)らずの間に不善の境遇に陥るを免れず」(『家庭学校設立趣意書』1899年)

 留岡は教誨師(きょうかいし)として赴任した北海道空知集治監(監獄)で囚人一人一人と面談。その成育歴を調べてみると、父母のあるなしを問わず、罪を犯す最大の要因が家庭にあることが分かった。それで後に、「家庭学校」という感化院(今日の児童自立支援施設)を創設した。

 京都アニメーションの放火殺人犯、青葉真司容疑者の家庭はどうだったろうか。それを新聞で知ろうと思っても詮無(せんな)いことだ。幼少期に触れた記事が皆目、見当たらないからだ。

 読売7月21日付には「両親は茨城県常総市の出身。その後、県内の別の地域に転居したが、両親は別れ、青葉容疑者は埼玉県に移り住んだ」とあるだけだ。朝日26日付は「夜間高校通学、県庁で非常勤 30代で生活困窮『社会に嫌気』」と学校や社会生活には詳しいが、育った家庭環境は抜け落ちている。他紙も同様である。

 それで週刊誌を見てみると、新聞とは対照的に父親の不倫、離婚、再婚、義母の失踪、それに伴うネグレクト(育児放棄)等々、これでもか、と言わんばかりに成育期の生活ぶりを追っていた(例えば女性セブン8月8日号「“聖地”放火犯を狂わせた実父『子供9人』の乱倫」)。

 これが事実なら、留岡がいう「家庭紊乱」そのもので、それによって青葉容疑者は不善の境遇に陥ったのだろうか。犯罪心理学者の本に、放火犯には権威あるものを破壊しようとする心理があり、その深層に父親への復讐があると書かれていたのを思い出す。

◆動機解明に欠かせず

 ところが、新聞は家庭環境を記事にしない。むろん取材しているとは思う。加害者と被害者との間には放火殺人するほどの直接的な関係性がなく、犯行に及んだ本当の理由は何なのか、記事の基本である5W1Hの中でも「Why」(なぜ)が事件記事の核心になるからだ。その動機に迫ろうとすれば、成育歴を見逃すことはできないはずだ。

 余談だが、筆者はホームレス(路上生活者)支援に関わり、約100人の成育歴を調べたことがある。当時は派遣切りが騒がれた時期だったが、そういう経済事情よりも、子供の頃、毎年のように「母親」が代わったとか、親の事情で物心がついた頃からコンビニ弁当ばかりで20代で糖尿病になったとか、幼少期の家庭環境に起因すると思われるホームレスが少なからずいた。それで留岡ならずとも、育った家庭が気に掛かった。

 事件から2週間を経て犠牲者35人のうち10人の実名が公表され、3日付各紙に写真と生い立ち、業績が載った。その紙面に向かって哀悼の意を表した読者もおられたと思う。京都府警は会社側から犠牲者の実名の公表を控えるよう要望があり、遺族から意向を聞きながら発表の時期や方法を慎重に検討してきた(読売3日付)。毎日によれば、遺族配慮から匿名を望む会社側と、事件の重大性を配慮して公表を考える府警との間で「極限の交渉」があったという(大阪本社版3日付)。

◆人権栄えて道徳滅ぶ

 だが、加害者については書く“規制”がない。それでも新聞が「家庭」を記事にしないのはあえて書かないからだろう。加害者家族の人権擁護、プライバシー保護。そんな理由が浮かぶが、全て人間を個人として扱い、家庭を軽んじる戦後言論の悪しき風潮の現れではなかろうか。

 そんなふうに考えていると、勝田吉太郎・京都大学名誉教授の訃報が伝えられた(各紙2日付)。氏は京アニ事件にどんな感想をお抱きだったろうか。そういえば、『平和憲法を疑う』(講談社)の中で、こう述べておられた。「人権栄えて道徳滅ぶ」。合掌を重ねつつ、思いを巡らす今夏である。

(増 記代司)