「死」自覚し性行為やめたフレディの声伝えた「世界のドキュメンタリー」

◆首長権限で制度導入

 NHKが積極的に後押しする「LGBT」(性的少数者)運動が全国に拡大している。同性カップルの関係を「結婚に相当する関係」と見なす「パートナーシップ制度」を導入する自治体は今年4月、東京都豊島区、江戸川区など、一気に9自治体が増え、20自治体となった。

 7月には、都道府県レベルとしては初めて、茨城県が導入した。初日の1日は、レズビアンを公言する水戸市議カップルともう1組が宣誓書を提出。法的拘束力はないが、県営住宅への入所申請や県立病院で、「家族」として手術への同意が可能になる。

 制度導入は、首長の価値観によるところが大きい。茨城県では、県議会最大会派「いばらき自民党」が慎重な対応を求めたにもかかわらず、大井川和彦知事が独自に判断できる「要項」として導入した。他の自治体のケースを見ても、首長周辺に対する活動家による強い働きがあって、首長が性的少数者に理解を示すようになる場合が多い。

 その運動を後押しするNHKをはじめとしたメディアも当然、首長の判断を支持するという構図があるから、議会や住民の反対を押し切ってでも導入に踏み切れるのだ。そうして、同性カップルの関係も一夫一婦に限定された男女の結婚と同じであるという、極めて危険な誤解が広まるのである。

◆不都合な情報伝えず

 そこに大きな役割を果たしてきたのがNHKのLGBTキャンペーンだが、その特徴は、子供を生み育てることを主目的に制度化された一夫一婦の結婚制度の意義を軽視することと、性的少数者の実体を美しく描くことだ。

 例えば、筆者は本紙の「記者の視点」(6月15日付)で、ゲイのセックス経験人数は「100人以上が75%」で、しかも「1000人超えが27%」(米国の調査)と紹介したが、このような当事者にマイナスになる情報を取り上げたことを筆者は知らない。奔放な関係を結ぶことが多いという実体を知り、しかも絶対に子供が生まれることのない同性カップルの関係を「結婚に相当する関係」と見なすことに疑問を持つのが普通の感覚だろう。

 にもかかわらず、パートナー宣誓制度を導入する自治体はこれからも増える状況だからこそ、性的指向は「自然」なものだからと、同性カップルの関係を公認することが果たして当事者、そして社会のためになるのか、と、今は冷静に議論すべき時にきていると思うが、そのためのいい材料を、LGBT運動を推進するNHKが提供してくれている。少し旧聞に属するが、BS1で3月3日に放送され、4月29日に再放送されたBS世界のドキュメンタリー「クイーン 素顔のボヘミアン・ラプソディ」だ。

 説明するまでもなく、映画「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒットしたことで、英国のロックバンド「クイーン」のボーカルで、ゲイであることを公言したフレディ・マーキュリー(映画の主人公)への関心が高まったことで放送したのだ。日本にもファンが多かった彼は1991年、エイズウイルス(HIV)に感染し亡くなっている。

 ドキュメンタリーの後半部分で、HIV感染を知った後、フレディの「最期の日々」を綴(つづ)る場面で、彼は次のような心境を吐露している。

 「誰とでもやりまくりました。極端なんだよ、僕は」。ジャーナリストが「エイズはあなたにどんな影響を?」と質問すると、「外出しなくなった。はっきり言って修道女並みなんだ。セックスは重要だったし、そのために生きてたようなもんだ。でも、考えを変えた。死ぬほど怖いよ。僕はもうセックスはやめた」

◆奔放な性行動を煽る

 性的指向がどうであれ、欲望のままに奔放な性行動に走るのか、それとも欲望に向かい合って抑制して生きるのか。異性愛者、同性愛者を問わず、それを選ぶのは本人の倫理観次第だ。この選択こそが動物と違う、人間らしい営みであろう。フレディの場合、死の恐怖から、セックスをやめたというが、もっと早く考えを変えていれば、豊かな才能をさらに長く発揮できたはず。

 パートナー宣誓制度を導入し、実質、同性間の性関係を「善し」とするのは行政の過剰な介入ではないのか。それとともに、性を軽く考える風潮と奔放な性行動を煽(あお)ることになるのではないか、それが心配だ。

(森田清策)