宮中晩餐会での天皇陛下のお言葉全文を載せなかった伝統嫌いの朝日

◆読者に解釈権与えず

 令和初の国賓としてトランプ米大統領が来日した。安倍晋三首相とのゴルフに大相撲観戦、首脳会談、宮中晩餐(ばんさん)会、横須賀基地訪問と、いずれも印象に残るシーンが続いた。晴天だったのはまさに天与で、メディアにとって「絵」に事欠かなかった。

 中でも、天皇、皇后両陛下の初となる宮中晩餐会ではお言葉が注目された。陛下は日米関係をペリー来航から説き起こされ、自身の思い出やご経験を交えて、実に楽しそうに語られた。皇后陛下のおもてなしとともに令和の爽やかな風を薫らせた。

 これをテレビで見たが、やはり活字でじっくり読みたい。朝日の読者もそう思ったのではあるまいか。が、翌朝5月28日付の紙面にはさぞやがっかりしたことだろう。お言葉が載っていないからだ。読売、毎日、産経、本紙には全文が掲載されているというのに。

 むろん晩餐会の記事はある。社会面に「宮中晩餐 込めた陛下の思い/上皇さまの戦後観受け継ぐ」との見出しで報じていた。だが、お言葉のつまみ食いだ。例えば、《今日の日米関係が、多くの人々の犠牲と献身的な努力の上に築かれていることを常に胸に刻み》を取り出し、大学准教授に「父の上皇さまが昨年末、天皇の在位中最後となった会見で、戦後の平和と繁栄が『多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれた』と表現したことを想起させ、『上皇さまから受け継いだ戦後観が凝縮されている』とみる」と解説させる。

 それもお言葉の3節だけ、ほんの一部だ。これでは「込めた陛下の思い」は十分に伝わってこない。お言葉の全文を載せて、それをどう読むか、読者にその機会を与えるのが筋ではないか。それをせず、学者を使って一方的に解釈を押し付ける。まるで解釈権は朝日にあり、と言わんばかりだ。かつて共産党はあらゆる事象の解釈権が党中央にあるとして、党員の自由論議を封じたが(今も変わらないか)、それを彷彿(ほうふつ)させる。

◆万葉集言及の大統領

 晩餐会では天皇陛下のお言葉に続いてトランプ大統領のスピーチがあった。これにも朝日はつれない。記事には、「トランプ氏は、『米国と日本との間で大切に育まれてきた絆を我々の子孫のために守っていきます』などと述べた」とあるだけだ。「など」と一言で片づけられてしまったが、スピーチの半分近くが万葉集の話で、これもまた感銘深かった。要約が読売と本紙にある。むろん朝日は黙殺だ。

 大統領は「令和は、日本国民の一体性と美しさを祝福するものです。そして、それはまた、変わりゆく時間の中でも、われわれが受け継いできた伝統の中にわれわれが安らぎを得られることを思い起こさせます」とし、こう述べた(本紙28日付)。

 「令和がその由来を持つ万葉集の第5巻には、2人の歌人によって書かれた文章の中に、この瞬間に関する重要な洞察を与える記述があります。その歌人の一人は、大伴旅人ですが、春がもつ潜在的な可能性について書いています。もう一人の歌人は山上憶良で、一人目の歌人の良き友人であり、家族や将来の世代に対する私たちの厳粛なる責任を想起させます。これらはいずれも古来の英知から受け継がれてきた美しい教えです」

◆国賓スピーチも軽視

 米国大統領が万葉集についてここまで踏み込んで語るのは意外だった。大統領の(スピーチライターの)令和への研究ぶりがうかがえる。「家族や将来の世代に対する私たちの厳粛なる責任」と言われて、山上憶良の次の歌を思い出さずにはおれなかった。

 「銀(しろかね)も 金(くがね)も玉(たま)も 何せむに 勝(まさ)れる宝(たから) 子に及(し)かめやも」(銀も金も宝石も、どうしてそれらより優れている子供という宝に及ぶだろうか。いや及ぶまい)

 とまれ伝統嫌いの朝日にとって、陛下のお言葉も初の国賓のスピーチも、詳(つまび)らかにする要なし、ということか。

(増 記代司)