裁判員制度10年、量刑など踏み込んだ主張の産経と及び腰だった朝日

◆各紙とも肯定的評価

 「裁判に『国民の健全な社会常識』を反映させるという制度導入時の狙いは確実に浸透していると言えるのではないか」「裁判がはるかに分かりやすくなったのも確かだ」(毎日・20日付社説。以下、日経と朝日・同、産経は同主張、読売・19日付社説、小紙21日付同)。

 刑事裁判に国民感覚を反映させる裁判員制度が始まって、21日で10年となった。今世紀初頭から始まった司法制度改革の目玉の一つである裁判員制度は、これまでに9万人を超える国民が裁判員や補充裁判員を務め、判決を言い渡された約1万2000人の被告の裁判に関わってきたのである。

 10年の区切りに掲げた各紙の評価は、冒頭の毎日のようにおおむね肯定的なものであった。日頃、論調がぶつかることの多い産経と朝日も、産経が「10年はおおむね順調に推移し、十分な成果を挙げたと評価すべきだ」と認めれば、朝日も「運用はおおむね順調」「10年間の最大の成果は、裁判がわかりやすくなったことだ」と褒めた。以下、「わかりやすい裁判が実現しつつあるのは間違いない」(読売)、「制度は定着しつつあると言っていい」(日経)、「司法を身近に感じてもらうという目的は、一定の成果を見た」(小紙)と評価する。一方で、裁判員の辞退率増加の課題については各紙が共通して指摘した。

◆国民参加の意義重視

 以前の裁判官だけの裁判よりも裁判員裁判で、大きく変わったのは量刑である。産経は「性犯罪の強姦(ごうかん)致死傷と強制性交致死傷で重い量刑が選択される傾向が顕著」になったことを指摘。これは性犯罪に厳しい国民の「健全な処罰意識の発露」で、これに後押しされるように性犯罪の法定刑の下限が引き上げられる刑法改正に結び付いたことは「裁判員が国と司法を動かしたといえるだろう」と大きな成果とした。

 量刑の変化では、産経は裁判員裁判での死刑判決が裁判官だけの上級審で破棄された5件の検証がある。千葉地裁で死刑判決が選択された女子大生殺害事件。東京高裁は無期懲役に減刑した理由に、死刑は選択されない「先例の傾向」を挙げた。これに産経は「量刑を過去の傾向に求めるなら人工知能に任せればいい。行き過ぎた先例重視は制度の趣旨を揺らがせる」と批判したのは、日常感覚を判決に反映させるという国民の司法参加の趣旨にかなうと言うべきで妥当である。

 量刑の変化について朝日はどう評価したのか。介護殺人などで被告の事情を酌み、更生への期待を込めた判決が増えたことや「人間の尊厳を踏みにじる性犯罪の量刑は重くなり、一昨年の刑法改正にもつながった」ことは「市民参加の果実」と高く評価したのは産経同様だ。異なるのは一審の死刑判決を上級審が覆したケースについての評価である。朝日は「過去の基準にとらわれるべきではないと判断した事情を、判決の中で説得力をもって明らかにしているか」を一審裁判官に求め、返す刀で上級審に「市民が得心できる理由を示したうえで覆しているか」を問う。産経が国民の司法参加の意義を重視する立場に踏み込んだのに対し、朝日は裁判の公平性と市民感覚との両立を求め、中立的立場に立つ。一見、もっともらしいが、何の判断もしておらず及び腰であるのは否めない。

◆強制起訴の問題指摘

 他紙とは違い産経と朝日はワイドスペースの社論展開という力の入れようであるが、通り一遍を超え踏み込んだ主張の産経を評価したい。司法改革を総合的に論じ、量刑で先例重視の弊を批判する一方で、むしろ先例との著しい乖離(かいり)で「法の下の平等を損なっているのは検察審査会(※検審)による強制起訴制度」だと指摘。強制起訴制度は「検察官による起訴とはハードルの高さが大きく異なる」「裁判員裁判は裁判員6人と裁判官3人という絶妙なバランスで評議に当たるが、検審の11人は全て一般国民」であり、被害感情などが優先される傾向があるのに制度見直しの規定がないことの問題を提起したのも妥当だと言えよう。

(堀本和博)