秋篠宮殿下の皇室の制度的問題への危機感を薄めて報じた文春・新潮

◆ご発言の波紋広がる

 天皇の退位、即位があり令和の時代が明けた。年末年始のような雰囲気の中で新しい年を迎え、皇室の弥栄(いやさか)を祈る声が八島に満ちあふれた。

 週刊誌にとってはこの慶事も“売らんかな”の材料となるのはあさましい限りだ。話題が集中したのは即位された新天皇、皇后両陛下ではなく、秋篠宮皇嗣殿下であった。

 週刊文春(5月2・9日号)は「新天皇を悩ませる秋篠宮さま『即位拒否』」の記事を載せた。事の発端は4月21日付の朝日新聞が朝刊1面で報じた秋篠宮殿下の「即位拒否」とも取れる発言だ。

 新天皇が60歳手前で即位され、先の天皇と同じくらい位にあるとすれば、5歳年下の皇位継承権1位の秋篠宮殿下が即位するのは70代半ば。「それからはできないです」と述べられたのだ。記事はさらに「『天皇になることを強く意識している』という皇室研究者の見方が報じられると、『そんなこと思ったことがない』と打ち消す発言もあったという」と朝日新聞は伝える。

 関係者の間に波紋が広がった。70半ばでは「遅い。新天皇は早いうちに退位して自分に譲るべきだ」と兄に弟が譲位を迫ると受け止められる可能性のある物騒な発言だという見方が一つ。もう一方の解釈は、お言葉通り、天皇になるつもりがないということ、と同誌は分析する。いずれにしても、皇位継承権1位の身として、譲位を迫ったり、即位を拒んだりすることが許されるのか。生前退位や継承権の拒否など由々しい内容を含んでいる。

◆「老い」の問題を提示

 同じ話題を週刊新潮(5月2・9日号)も取り上げている。やはりこの話に集中するのだ。「宮内庁関係者」は、「(秋篠宮)殿下は、兄宮とご自身がそれぞれ10年ほど務められた後、悠仁さまに引き継がれるようなイメージを持たれているのではないでしょうか」と同誌に語る。

 これはこの関係者の見方にすぎず、当然、秋篠宮殿下がそう言ったわけでもない。それに、10年ごとに御代(みよ)替わりが繰り返されることも慌ただしい。20年後といえば、悠仁殿下はまだ33歳。昭和天皇が25歳で即位された例を見れば、早過ぎるということはないものの、立皇嗣の礼も行われていない中で、“次の次”を口にするのははばかるべきだし、女性天皇や女性宮家といった課題も道筋が付いていない。

 両誌とも秋篠宮殿下の発言を“物議を醸すもの”として扱っているが、果たしてそう見るべきなのだろうか。殿下の提示した「天皇と老い」という問題はこれから必ず付いて回る。秋篠宮殿下が投げ掛けたものは「即位拒否」や「譲位」ではなく、皇室が抱えている制度的な問題点への危機感だ。その点を深めるのではなく、薄めて消して報じるのは怠慢なのか、別の意図があるのか。

◆不快な古賀氏の発言

 ちまたの話題は新天皇に切り替えられている中で、発売日が退位の日(4月30日火曜日)に当たっていた週刊朝日(5月3・10日号)は「天皇、皇后両陛下 平成最後の証言」を載せた。同じ週の後半、即位以降に出た文春、新潮とは対照的だ。

 まだ、上皇、上皇后陛下の“余韻”に浸っていたい向きには心温まる企画である。31人が両陛下のエピソードを紹介しており、改めてお人柄がしのばれる。

 ただし、田原総一郎氏と古賀茂明氏による「安倍政権の政治利用と令和解散」の記事はいただけない。安倍首相批判がしたいがために、むりやり突っ込んだ記事のようで、両陛下の思い出を語るスペースにはふさわしくない。

 「天皇陛下のこれまでのご発言が、安倍首相へのアンチテーゼに感じることは多々ありました」と古賀氏は言うが、それこそ天皇の政治利用であることに気付かないのだろうか。天皇を持ち上げて安倍批判する韓国のようで不快である。

(岩崎 哲)