現行憲法を玉座に据え、天皇を「内閣の補佐」に貶める朝日の皇室報道

◆国民の思いに水差す

 平成が今日で終わる。天皇陛下の御代替わりで、時代の移りを国民が共有する実感を改めて噛(か)みしめる一日である。そして明日、令和を五月(さつき)の光の中で迎えたい。

 こうした国民の思いに水を差そうというのか、朝日25日付「天声人語」は作家の坂口安吾の『続堕落論』を持ち出し、皇室を慕う国民を「欺瞞(ぎまん)」と言わんばかりに次のように書いた。

 「天皇が元首だった当時(戦前)とは違い、象徴と位置づけられる現代である。それでも似たような精神構造をどこかで引きずってはいないだろうか」「『おまかせ民主主義』という言葉がある。投票にも行かず政治家や官僚に従うことを指す。同じようにすごく大事なことを『象徴の務め』にまかせて、考えるのを怠ってこなかったか。天皇制という、民主主義とはやや異質な仕組みを介して」

 その上で、こう言い放った。「世襲に由来する権威を何となくありがたがり、ときに、よりどころにする。そんな姿勢を少しずつ変えていく時期が、来ているのではないか」

 これを意訳すると、「世襲に由来する権威をありがたく思うな、心の支えにするな。変革だ」。そんなふうに読める。それだけに令和の時代に朝日はどんな皇室報道をするのか、しかと見届けねばなるまい。

◆「ご懐妊」先走り報道

 平成の30年間においても朝日の皇室報道は常軌を逸していた。思い出されるのは平成11年12月、朝日は「雅子さま 懐妊の兆候」を1面トップで報じ(同10日付)、これをきっかけにメディア挙げてのご懐妊報道となり、皇太子殿下と雅子殿下にご心痛を与えたことだ。

 その後、雅子さまは宮内庁病院で妊娠7週での流産が確認された。朝日報道の時点では医学的に確認できない妊娠4週目だった。この時期は医者も慎重に見守るのが常識で、他のマスコミは「兆候」に気付いても常識を働かせて報道を控えていた。朝日はそれを破って騒ぎを起こすかのように報じたのだ。

 皇太子殿下は翌12年2月、40歳の誕生日に際しての記者会見で「ご懐妊報道」について触れられ「医学的な診断の下る前の非常に不確かな段階で報道がなされ、個人のプライバシーの領域であるはずのこと、あるいは事実でないことが大々的に報道されたことは遺憾であります」と異例のメディア批判をなされた。ところが朝日に反省はない。

 16年の紀宮殿下のご婚約報道も同じことをやった。新潟県で震度7の大地震が発生し、皇室の方々は多数の被災者がおられる中での「慶事の発表は好ましくない」と判断され、宮内庁は発表を控えていた。ところが朝日は他紙を出し抜いて1面トップで大々的に報じた(平成16年11月14日付)。それで宮内庁は発表を余儀なくされ、羽毛田信吾次長(当時)は朝日報道の翌日、慶事なのに沈痛な表情で会見の冒頭、「大変不本意であり残念」と述べた。

◆被災地ご訪問も批判

 平成の天皇陛下のご活動で、もっとも印象的に残るのは東日本大震災地での被災地ご訪問とビデオメッセージだろう。ところが朝日はこれにも異を唱えた。23年5月16日付社説は忘れることができない。次のように書いていたからだ。

 「国政に関する権能をもたないと憲法で定められた天皇に、高度な政治性を託し、あるいは見いだそうという動き。主権者であり現人神とされたかつての天皇と現在の象徴天皇との違いを飛び越えて、終戦時の玉音放送と同視するような論評や感想も目についた。しかし今回の放送も被災地訪問も、『公的行為』として内閣の補佐と責任において行われることを忘れてはならない」

 朝日は現行憲法を玉座に据え、天皇を「内閣の補佐」に貶(おとし)める。それで皇室報道では敬語を使わない。「天声人語」が言う天皇への「姿勢を少しずつ変えていく」というその先にどんな日本を描いているのか。どう見ても共産党の天皇制廃止と一脈通じる。

(増 記代司)