“01思考”の小泉純一郎元首相の原発ゼロ論を持ち上げるアエラ
◆野党勢力の尻を叩く
アエラ3月18日号は小泉純一郎元首相へインタビューし、「『原発ゼロ』は次の首相」というタイトルでまとめている。現政権では無理だが、安倍晋三首相の次の首相時に、原発ゼロを実現できる、という内容。
小泉氏の「原発ゼロ」の反原発の主張は既に、いろいろな媒体に単発的に出ているが、今年7月予定の参議院選挙で、原発ゼロを旗印に、攻勢を掛けようとしている野党勢力の尻を叩(たた)くがごとく、アエラ編集部の満を持しての企画だろう。
インタビューの中で小泉氏は「原発ゼロで日本は困らない、むしろ発展できる。日本は太陽光や風力、水力、地熱といった自然エネルギーに恵まれている。(中略)自然エネルギーで安心して経済成長できる社会を作り上げれば、必ず世界が見習う。そうすれば世界をリードできる」と話している。
◆原子力の「平和利用」
わが国は1955年(昭和30)に制定された原子力基本法の第一条で、原子力エネルギーの開発について「原子力の研究、開発及び利用を推進することによつて、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もって人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与することを目的とする」と記し、その研究開発に至った。
世界で唯一の被爆国・日本が、その被害に遭ってから10年という短期間のうちに、なぜ、当の原子力を選択したか。
それは長崎で被爆しながら救護活動に尽力した医師、永井隆博士が、日本がエネルギー小国であることの無念を吐露し、「石油・石炭などのエネルギー資源を他に求めるのでなく、科学技術によって自分たちで資源を得るのだ」「原爆は決して許せない。このエネルギーを平和のために使わなければならない」と説き、多くの国民の共感を得たことが大きい。国家再興の悲壮な決意、科学技術に対する謙虚な姿勢こそ原子力エネルギー開発の原点にある。
ところが、小泉氏の先の発言を聞くと、日本人の過去の歴史的事実に対する忘却体質を指摘せざるを得ない。自然エネルギーに全面的に頼ることの政治的、経済的危うさに思いを致すべきだ。
また小泉氏は首相在任中、原発推進の立場だったことについて「(原発推進論者の話を)信じていた。『日本にはほとんど資源がない』『石油や石炭を使ったらCO2が増えて地球温暖化が進んでしまい、それを避けるためには原発が必要なんです』などと説明されると、私は原子力技術なんてほとんどわからないから『なるほど、そうか』と信じてしまった。電力会社の言う『安全第一』というのもウソだった。『経営第一』『利益第一』だった」と。引退後の反原発の主張について「批判はあるよ、反省する。しかしウソとわかって黙っているわけにはいかない」と述べている。
もちろん福島第1原発の事故は、原子炉の専門家が見ても、これは大変だ、というものだった。しかし、一般公衆で亡くなった人は一人もおらず、漏れた放射線も安全審査対象で許容される集積線量だった。原子力基本法に「原子力は安全を旨とし」を冠して掲げられた安全規定は、当の事故でも守られている。
コンピューターは0と1の二つの数字を駆使してつくられる概念規定で、シロ、クロの判断を積み重ね結論を出すマシーンだが、小泉氏の「原発ゼロ」に至る論理はまさに“01思考”のそれ。ただコンピューターは、各命題の正否が数理的厳密性によって正されるが、氏の判断はあまりに感覚的で、結論も恣意(しい)的だ。
◆小泉氏一流の扇動法
一方、インタビュアーは原発ゼロについて「自民党の古参議員もダメ、野党も頼れない。どうすればいいのでしょう」と鎌をかけている。
これに対し小泉氏は「決して複雑ではない。新たな首相が『原発ゼロにしよう』と言えば実現する。首相の権限は強いから、首相が『原発ゼロ』を打ち出せばガラッと変わる」と断じている。
物事を決めるのに、国のトップ(首相)の判断が大きな影響力を持つ、というのは言わずもがなのこと。それを「首相が『原発ゼロ』打ち出せばガラッと変わる」と、気取っての言い方は、小泉氏一流の扇動力のたまものだ。
(片上晴彦)