子供の学習教材にはお薦めできぬ朝日「いちからわかる!」ニュース解説
◆低迷の社民を俎上に
朝日朝刊に「いちからわかる!」と題した問答形式のニュース解説欄がある。「森の賢者・フクロウからの質問をわかりやすく解き明かす」というのが売りで、2月には同欄を切り抜いて貼るノートまで発売した。
朝日デジタル版には「ノートに貼っていくだけで、時事問題の知識が得られます。切り抜いた記事に線を引いて理解を深め、図表を読み解く力も鍛えられる線引き学習もできます」とある。1冊で1カ月分(24頁)が貼れ、お値段は180円。子供の学習教材に供したいらしい。が、学習にふさわしい内容なのか、いぶかる。
例えば、2月28日付を見てみよう。テーマは「社民党『存続の瀬戸際(せとぎわ)』、どういうこと?」。見出しには「政策転換(てんかん)し低迷。今夏は『政党要件』を満たせるかの危機」とある。政界では話題にならない社民党を俎上(そじょう)に載せている。
政党は公職選挙法で「国会議員5人以上」か「直近の国政選挙での得票率2%以上」を満たす必要があるが、社民党は国会議員4人、前回総選挙の得票率1・69%。今夏の参院選で2%に届かず、議員も増えなければ、政党消滅だ。それで問答は気をもむ。
<ホー先生 社民党が危機をむかえているんだって?
A 2月17日、党の地方組織の幹部を集めた会議で、夏の参院選を「国政政党として存続できるかの瀬戸際(せとぎわ)」と位置づける活動方針を決めたんだ。
ホ もともとは大きな政党だったぞ。
A もとは社会党だね。戦後すぐの1945年にでき、護憲をかかげ、労働者に支持されて、長らく野党第1党を担(にな)ったんだ。
ホ ホホウ!>
と、ホー先生は護憲を掲げて野党第1党だったことに驚きの声を上げる。問答は1958年の総選挙で166議席を獲得したことや89年の参院選で躍進した「マドンナ旋風(せんぷう)」の“栄華”を語り、「どうして勢いがなくなったんじゃ?」と続く。
◆「自衛隊合憲」原因か
<A 村山富市(とみいち)委員長が94年に首相にかつがれ、自民、さきがけと連立政権を組み、「自衛隊は合憲」と基本政策を転換(てんかん)した影響(えいきょう)が大きい。経済や社会の変化もあって低迷し、96年には党名を社民党に変えた。でも、多くの議員や、支持してきた労働組合は、野党の中で力をつけてきた民主党に流れていったんだ。>
思わず、この箇所に線を引きたくなった。とりわけ「『自衛隊は合憲』と基本政策を転換した影響が大きい」の箇所には赤線を引きたい。社民党低迷の原因が自衛隊違憲論の放棄であるかように書いているからだ。この伝なら、自衛隊違憲論を掲げ続ければ社民党は大政党になった? 誰が考えても妄想だろう。
確かに自民党との連立は世間を驚かせた。だが、阪神大震災での村山首相の無能さは目に余った。自衛隊の救援活動の足を引っ張ったのは自衛隊違憲論にほかならない。自社さ連立の解消後、違憲論に先祖返りした。
2002年の日朝首脳会談で北朝鮮は日本人拉致を認めたが、社会党は古くから朝鮮労働党と「友党」関係を結び、拉致事件が存在しないと主張してきた。それで国民の社民党離れが決定的となった。今や支持するのは名うての極左労組か、団塊世代のオールド左翼ぐらいのものだろう。
◆政治部は野党応援団
それを朝日は未練たらしく「存続の瀬戸際」とし、自衛隊違憲論への郷愁を書く。筆者は末尾に「斉藤太郎」とある。政治部記者である。昨年7月、通常国会終了後の朝日の記者座談会にその名があったことを思い出した。
「森友・加計/国会審議」と題する座談会で斉藤記者は「森友・加計問題の追及で気を吐いた野党は共産党だった。独自に文書を入手して政府を攻め立てた。それ以外の野党は報道に頼りがちだった。官僚の中立性を保ち『忖度政治』をまんえんさせないためにも、役所からの『通報』の窓口になれるような野党議員たちが必要だった」と野党に肩入れしていた(同7月23日付)。
なるほど朝日政治部は野党応援団ということか。社民党が消滅しないかと気をもむのは自衛隊違憲論を後押ししたいからなのだろう。とまれ、こんな学習教材はとても子供たちにお薦めできない。
(増 記代司)