国際社会の現実を顧みず「幻想」を振りまく毎日のインタビュー記事
◆抑止力あっての平和
米中新冷戦を探る本紙連載のタイトルに「『幻想』から目覚めた米国」とあった(7~14日付)。米国は中国が経済発展すれば、いずれ政治も自由化していくという「幻想」にとらわれてきたが、ようやく目覚めた。それがトランプ政権の厳しい対中姿勢に表れていると報じている。
それで日本の「幻想」を考えてみた。すると、中国への幻想もさることながら、もっと深刻な「幻想」に突き当たった。毎日の元旦付1面に載った小松浩主筆の「未来へつなぐ責任」と題する年頭の辞にこうあった。
「平成の30年は、戦争のない平和な時代だった。日本が享受している平和と豊かさは、国民の反戦への強い意志と、勤勉な努力が作り上げたものだ」
小松氏は「反戦への強い意志」が戦争のない平和な時代をつくり上げたと言うのだが、どう考えても「幻想」だろう。平成のみならず戦後日本に戦争がなかったのは、自由と民主主義を守る強い意志を自由諸国が共有し、戦争を防ぐ抑止力を保持したからだ。日米安保条約や北大西洋条約機構(NATO)がそうだ。
むろん豊かさは勤勉な努力によるが、それも平和があってこそのものだ。それがリアルな国際社会の現実ではないか。ところが毎日はその現実を顧みず「幻想」を振りまく。16日付オピニオン面の「言論の『右傾化』」と題するインタビュー記事で、宇野重規・東大教授にこう語らせている。
◆宇野教授の大勘違い
<1980年代くらいまでは、論壇誌などで公にすることのできる文章の内容と水準に一定の「良識」の幅があった。その幅の「目利き」役として、何人かの有力な学者や評論家、編集者がいて、良かれあしかれ、にらみをきかせていた。
やがて「目利き」が高齢化し、亡くなる中で、論壇のブレが大きくなり、「言ったもの勝ち」となる。朝日新聞と岩波書店に象徴される左派的あるいはリベラルな言説や、中国や韓国など、標的に選んだ「敵」をうまくこき下ろせば勝ち。非常識であれ、ともかく話題になればいいという「炎上」商法化が進んだ。>
とんでもない勘違いだ。良識の幅、目利き、論壇のブレ…、どれ一つとっても意味不明だ。昨年、産経の月刊誌「正論」が創刊(73年)45年を迎え、作家の曽野綾子さんが産経紙上で「45年前頃の空気を知る人は、今や少なくなってしまった」と述懐しておられたが、67年生まれの宇野氏に論壇史を語らせるのはどだい無理な話だ。ちなみに曽野さんはこう述べている。
「戦後の日本は、思想的にも、表現上も、自由に解放されたと国民の多くは思っていたが、実はそうでもなかった。戦争中に軍部の言いなりにならなければならなかった日本のマスコミの多くは、今度は左側に舵を切った。その頃の総合雑誌を調べれば、中国または北朝鮮が理想の国家形態に近いと書いた人たちの文章を、容易に発見することができるだろう」(2018年6月25日付)
◆ウソ報じ続けた朝日
それで1970年に「諸君!」が発刊され、「正論」が続いた。それでも「朝日・岩波言論」が幅を利かせた。90年代のソ連崩壊で、共産主義への幻想が消えたが、朝日は改めなかった。吉田清治氏の従軍慰安婦をめぐる偽作を「吉田証言」として報じ続けたのがその象徴だ。
吉田氏は95年に「創作」と認めたが、朝日が記事を取り消したのは2014年になってからだ。多くの識者が声を大にして朝日の非を訴えたからだ。宇野氏の言う「言ったもの勝ち」は朝日の方だった。黙っていればウソがまかり通った。それを質(ただ)した言論を右傾化というのは恐るべき偏見である。
毎日の「言論の『右傾化』」記事には朝日で政治部長や月刊『論座』の編集長を務めた薬師寺克行・東洋大教授も登場する。『論座』は08年に部数減で休刊されたが、氏は「『論座』が姿を消して以後の10年、言論空間は社会的役割を見失い、論理や事実よりも感情に支配され、対話も失われた」と述べている。
盗人猛々しいとはこのことだ。こんな人たちに「右傾化」を語らせる毎日はよほど左だ。幻想から目覚める気配すらないのは残念と言うほかない。
(増 記代司)