歴史教科書「大誤報」を認めず「書き換えさせた」と言い募る毎日・伊藤氏
◆外交問題にまで発展
いまだ、こんな誤報がまかり通っているのかと、いささか憂鬱(ゆううつ)になった。
毎日9月1日付の「時の在りか」と題するコラムで、編集委員兼論説委員の伊藤智永氏が「80年代、文部省が歴史教科書の『侵略』を『進出』と書き換えさせた時も、天皇は心配した」と書いていた。入江侍従長日記の1982年7月27日にご発言があるという。
コラムは「関東大震災で起きたこと」と題して朝鮮人虐殺について取り上げ、小池百合子都知事が朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を出さないことを「官民一体の血塗られた記憶から官がそろりと逃げ出し」と批判し、官が歴史を歪める例として文部省(当時)が歴史教科書を「書き換えさせた」と記述している。
呆(あき)れたのは、ここのところだ。「書き換えさせた」というのは真っ赤なウソで、朝日など一部メディアの誤報だった。ところが伊藤氏は平然と「書き換えさせた」と書く。無知か、悪意か。いずれにしても今後、誤報が事実のように流布されかねない。改めて誤報を検証しておこう。
その年、教科書検定があった。それをめぐって朝日は82年6月26日付朝刊の1面トップに「教科書さらに『戦前』復権へ 文部省・高校社会中心に検定強化 『侵略』表現薄める」と報じ、「侵略」を「進出」に書き換えたとする一大キャンペーンを張った。
他紙やテレビも追従し、中国と韓国が反発し外交問題に発展した。入江日記はその最中のことで、昭和天皇は心を痛められていたのだろう。
◆本紙がまず誤り指摘
だが、書き換えはなかった。誤報と真っ先に報じたのは本紙82年8月6日付で「実際は変わっていない“教科書”」「一部を誇大に報道」と報じた。故・渡部昇一氏(上智大学名誉教授)は月刊『諸君!』(同年10月号=9月2日発売)で本紙記事などを引用して批判、『週刊文春』(同9月9日付)は「『華北・侵略↓進出』の書き換えの事実なし! 日本テレビ・東京・朝日・毎日などの歴史的大誤報から始まった」と“文春砲”を炸裂させ、誤報が知れ渡った。
これを受けてサンケイ(当時)は9月7日付で謝罪。毎日は「読者に誤った解釈を与える恐れ」(同10日付)、朝日は「一部にせよ、誤りをおかした」(同19日付)と、奥歯に物が挟まった物言いだが、誤報と認めた。これが「歴史的大誤報」の顛末(てんまつ)だ。それでも伊藤氏は「書き換えさせた」と言い募るのだろうか。
伊藤氏がコラムで取り上げた朝鮮人虐殺については、既に毎日8月30日付社説が小池都知事の追悼文見送りを「既成事実化は許されない」と批判している。伊藤氏の執筆なのかもしれない。
◆追悼より政治を優先
朝日は9月1日付夕刊社会面で朝鮮人犠牲者追悼集会を取り上げ、小池氏の姿勢を「市民団体の日朝協会などでつくる式典の実行委員会は『過去の歴史から学ぼうとする姿勢がみられない』と抗議している」と報じた。2日付朝刊でも重複を恐れず、同じ集会記事を載せている。
小池氏は同日に営まれる大法要に追悼文を送っており、「個別の形での追悼文の送付は控える」としている。大法要は秋篠宮御夫妻をお迎えして開かれたが、朝日は本文の中で「大法要も開かれた」と付け足し扱いだ。犠牲者の追悼よりも、政治優先か。
そもそも追悼集会は政治色が強い。朝日も毎日も「市民団体の日朝協会」と、わざわざ「市民団体」を冠するが、れっきとした北朝鮮系団体だ。横網公園(東京都墨田区)にある「朝鮮人犠牲者追悼碑」は、美濃部革新都知事が訪朝し、日朝友好の証として73年に建立したものだ。
追悼碑には朝鮮人虐殺数が「六千余名」とあるが、根拠は不明だ。中央防災会議の報告書には、大韓民国臨時政府の機関誌「独立新聞」に掲載され、後に研究者らに多く引用された「6661人」が紹介されており、どうやらそれが根拠らしい(産経2017年9月2日付)。
だが当時、上海に拠点を置く臨時政府は数十人規模で、日本での調査能力はなかった。どこからこの数字を弾き出したのか、不思議だ。「南京虐殺20万人」と同様の政治的プロパガンダを疑うが、どうだろうか。伊藤氏は小池批判を繰り返すなら、虐殺の実数を明らかにする責任がある。
(増 記代司)