超常現象で信者を増やした「劇画宗教」としてオウム事件を総括した新潮

◆キーワードはASC

 オウム真理教元代表の「麻原彰晃」こと松本智津夫死刑囚の刑が執行された。日本を震撼(しんかん)させたオウム事件から23年が経過し、松本と共に6人の元教団幹部の刑もほぼ同時に執り行われ、再び「オウム事件とは何だったのか」と振り返る企画がメディアにあふれている。

 その中で、週刊新潮(7月19日号)の特集「奈落に落ちた『麻原彰晃』『劇画宗教』30年の総括」を取り上げてみる。ある意味エリートではあるが“最も俗”であるメディアに身を置く者として、宗教帰依者の心理は不可解のようだ。特集の冒頭に持ってきた「なぜエリートたちが麻原“ごとき”に帰依したのか」の疑問にそれが凝縮されている。

 同誌にとって「麻原の実像は俗物の王」であり「『煩悩の塊』のごとき人物」にすぎない。ところが、麻原に帰依し教団幹部として彼を支え、事件で重要な役割を担った「高弟」たちは「高学歴のエリート」ばかりだった。しかも「合理的思考を極める競争に勝ち抜いた」理系の秀才たちである。彼らになぜ「麻原の欺瞞性」が見抜けなかったのかが不思議でならないのだ。

 同誌が達した結論は「幻覚」だった。「変性意識体験」(ASC)というキーワードで解明を試みている。これは「人々が幻覚などを体験している状態、あるいは、意識が混濁して、論理的な判断が出来ない状態を表す」という。「人をある一定の条件の元に追い込めば、簡単にその人をして、ASCの状態に到達させることが出来る」のだ。

 例えば睡眠や食事、性欲を制限した特殊な状況下に置けば、正常な判断ができなくなり、そこで理論を吹き込まれれば、いくら理系エリートといえども、その体験を「超能力」や「神秘体験」と思い込んでしまう、ということである。

◆薬を使って神秘体験

 ただし、こうも言っている。「実は、こうした現象は、禅や真言密教など、他の宗教・宗派でも修行の過程で日常的に起きるものだ」と。仏教に限らず、キリスト教でも説教中に“入神”状態、トランス状態になることもある。それらも「幻覚」だと切って捨てるつもりは同誌にはないらしい。

 それに、ASCは何も宗教に限った話ではないだろう。大発明も考えに考え抜いて、合理的に詰めていった先に天啓のようにひらめいて生まれたものが多い。何かを生み出す過程で、周囲のものが目に入らないほどの極度の集中や、飲食を忘れた没頭というのはあるものだ。

 さらに「神秘体験」を得るには、それ相応の厳しい修行や心の持ちようが必要で、常人が簡単に「幻覚」と言い切ることはできないものだろう。

 しかしオウムの場合は別物だ。神秘体験を得させるために「幻覚剤」まで使い、「超常現象を作り出し、手っ取り早く出家信者を増やそう」とした。だからこそ、同誌はそれを「劇画宗教」と規定したわけで、これは納得できる。

◆死してなお信者呪縛

 麻原は「8件、犠牲者28人の殺人・逮捕監禁致死事件」で裁かれた。しかし、同誌はこれ以外に「警察も把握していない殺人事件」があると暴いている。1991年初めごろ、富士山総本部で経理を担当していた女性が麻原の指示の下、幹部らの手によって殺害された。このことを、今月8日になって、その殺害現場にいた上祐史浩氏が同誌に認めたのだ。新実智光死刑囚もその「余罪」を告白したことがあり、話の内容はほぼ合致していることから、女性が殺されたのは事実だろう。

 「ちなみにこの件、既に時効が成立して事件化する可能性はない」という。だが、それを黙っていた上祐氏は「同罪だ」と同誌は厳しく断罪する。明らかにすれば「自分に危機が及ぶ」し、「自分の弱さ、恐怖、不安感」から話せなかったという上祐氏の弁解も、「自らの責任を回避する理屈をこねる」と同誌は切り捨てた。

 この他特集は「麻原遺骨の行先」についても取り上げている。彼の遺骨や遺灰はいまだに麻原に帰依している信者にとっては信仰の対象物になり得る。教団とは関係ない四女に遺骨を渡すように遺言した、と言うが、麻原の妻や三女がこれに反発、裁判沙汰になりそうな状況だ。死してなお信者を呪縛(じゅばく)し、社会を騒がせる麻原彰晃。彼をこそ葬らなければならない。同誌が一度も「松本智津夫」とは表記しなかった理由だ。

(岩崎 哲)