「安倍憎し」で強引に“萩生田叩き”を続け「母親の偉大さ」否定する毎日

◆事件報道並みの扱い

 毎日が自民党の萩生田光一幹事長代行の「ママがいい」発言を執拗(しつよう)に批判している。

 おさらいしておくと先月、萩生田氏は宮崎市での講演で0~2歳の乳幼児の子育てについて「『男女共同参画社会だ』『男も育児だ』とか格好いいことを言っても、子供にとっては迷惑な話だ。子供がお母さんと一緒にいられるような環境が必要。ママがいいに決まっている」「生後3~4カ月で赤の他人様に預けられることが本当に幸せなのか。保育園に1~2歳からでも入れる枠組みを作っていくことが大事だ」などと発言した。

 それを毎日は28日付社会面肩で事件報道のように扱い、29日付では「父子家庭に『心ない発言』」、今月8日付生活面では「『ママがいい』根拠なし 父親の育児は迷惑?」と続けた。ちなみに31日付では東京が政治面で「時代錯誤」、沖縄タイムスが社説で「古い価値観が根を下ろす」と批判した。萩生田発言はそれほど「問題発言」なのだろうか。

 この報道に接して今日1歳の誕生日を迎える上野公園のジャイアントパンダのシャンシャン(香香)を思い浮かべた。最近は一人遊びも増えたが、いつもママと一緒だった。シャンシャンにとってママがいいに決まっている。

◆明快なルソー教育論

 それはさておき、フランスの啓蒙(けいもう)思想家ジャン=ジャック・ルソー(1712~78年)の教育論を思い出さずにはおれない。ルソーは母が彼の出生直後に死亡し、叔母に育てられ、まず音楽家として世に出た。「結んで開いて」の曲は誰もが知っていよう。教育については「自然に帰れ」の『エミール』が名高い。その中でルソーはこう言う。

 「最初の教育はもっとも重要なものであり、それは明らかに女に属している。…もし、自然の創造者が、教育が男のものであることを欲したなら、それは子どもを養うための乳を男に与えたであろう」(中里良二『ルソー』清水書院)

 教育を意味するフランス語の「●(「e」の上に「´」)ducation」が古代には『乳を与えて育てる』といった意味を持っていたように養育は母親の自然な義務だ。だから乳母に育てさせてはならない。父親は世界で最も有能な教師であるべきだ。そうした母親と父親の協同によって真の子供の教育がなされる。ルソーの子育て論は明快だ。

 これは18世紀のものだが、「時代錯誤」「古い価値観」とは思われない。時代を超えて響いてくる感がするが、読者諸兄はどうだろうか。

 20世紀の米国の児童心理学者マーガレット・マーラー(1897~1985年)は精神科医として数多くの母親と乳幼児を観察し、子供の発達理論を導き出している。

 それによれば、母親の胎内に10カ月間いた赤ちゃんは生まれたばかりには母親と自分の区別がつかない。母親は自分の延長、まだ胎内にいた時の延長で、子供が母親と自分が別個の存在と認識し始めるのは1歳前後。母親から少し離れて、また戻ってと、これを繰り返し、3歳までに自分を「確認」する。この期間の母子の信頼関係が、後に大きな影響を及ぼす。マーラーはそう指摘している。

◆見当違いの批判展開

 それでも毎日は「ママがいい」に根拠がないと言うのだろうか。萩生田氏は何も父親の育児を否定しているわけではない。0~2歳では実際には母親が子育ての中心で、自ら育てたいと願う母親も少なくない。ところが、出生後に自宅で育てていると、仕事をしていないと判断され、1~2歳で保育園に入れようとしても弾かれてしまう。そういうことがないよう自ら育てる母親にも優しい社会をつくろう。そんな趣旨だ。

 ところが、毎日は見当違いな批判をする。例えば、29日付は父子家庭の父親に「ジェンダーバイアス(男女の役割の固定)解消」を主張させるが、それは遺族基礎年金の支給をめぐるもので、確かに制度的支援は必要だが、「ママがいい」とは別次元の話だ。8日付は父親の「イクメン」にまつわる話で、その必要性は誰も否定していない。

 それにもかかわらず強引に“萩生田叩(たた)き”に話を持っていく。まさに「坊主憎けりゃ袈裟(けさ)まで憎い」の図だ。シェイクスピアは「揺りかごを動かすものは世界を動かす」と言った。そんな母親の偉大さを安倍憎しで否定されては、世の母親を尊敬する人が悲しもう。

(増 記代司)