テレビ局お抱え評論家の限界が見える朝日「池上彰の新聞ななめ読み」
◆女性に媚びる態度
朝日に「池上彰の新聞ななめ読み」と題するコラムがある。言わずと知れた評論家の池上彰氏の新聞論評だ。
かつて慰安婦報道をめぐって朝日批判の記事を書いたところ掲載を拒否され、怒った池上氏とひと悶着(もんちゃく)があって、週1回から月1で再開された。そんないわく付きのコラムだ。同業なので池上氏がどんな視点で、どう論を進めているのか、毎回、目を通している。
結論から言うと、最近の氏の論評は面白くない。本欄の新聞論評は週1だから、それなりのテンポで書けるが、日刊新聞の月1は題材が古くなったり、他で論じられたりするので扱いにくい。そういう事情もあるのではないかと、ご同情申し上げる。
が、そのことを差し引いても、面白くない。NHKで「週刊こどもニュース」を担当していたこともあって、テレビ番組では「分かりやすさ」を売りにしているが、女性の視聴率を気にしてか、いささか媚(こ)びるような態度が目に付く。月1の新聞論評もテレビ的に浅くなってきた。
4月27日付は「財務次官のセクハラ報道」を取り上げ、見出しに「見えぬ働く女性への配慮」とある。それでてっきり女性記者に次官の取材を続けさせてきたテレビ朝日のことだと思ったが、違っていた。
◆日経と読売に矛先
池上氏の批判の矛先はもっぱら日経と読売に向けられている。財務次官辞任を朝日と毎日は1面トップで報じたのに日経は「なんと5面の経済面に3段の扱いで掲載」したとし、「日本の組織は企業も官庁も、まだまだ男社会。セクハラで悩む女性も多いはずです。そんな女性に寄り添った紙面づくりはできなかったのか」と批判する。
読売については、「(テレ朝の)記者が次官とのやりとりの音源を週刊新潮に渡したことを重大視している」ことを問題にし、「女性記者がセクハラを受けていると感じて録音を始めたのなら、これは取材活動ではなく、被害者の自己防衛」とし、「記者も人間です。取材活動なのか、人間としての尊厳を守る自己防衛なのか。そこをはっきりさせて論じる必要がある」と難ずる。
いずれも報道よりも「女性」をクローズアップさせ、女性の味方のような書きっぷりだ。確かに日経の扱いは小さいが、それを問題視するなら、日経と財務省の癒着関係にこそ目を向けるべきではないか。
「経済に強い」日経にとって財務省ほど重要な取材先はない。財務省にとっても日経を味方に付けておくのは「世論対策」に欠かせない。そんなもたれ合いが指摘されてきた。池上氏も百も承知のはずだ。女性に寄り添わないから次官辞任の扱いが小さい? それはちょっと違うと思う。/p>
◆テレ朝に寄り添う
読売批判は的外れだ。読売は20日付社説で「問われる人権配慮と報道倫理」を論じたように「報道倫理」を問うのは、報道機関としての矜持(きょうじ)があれば当然のことだ。こういうときこそ、自らに厳しくなければならないはずだ。池上氏は一見、女性に寄り添っているように見えるが、実のところテレ朝に寄り添っている。
池上氏の「ななめ読み」が朝日紙面に載る3日前の24日、テレ朝の角南源五社長が会見し、セクハラがあったとされる4月4日に福田淳一事務次官(当時)と女性記者が会った経緯を明らかにした。
朝日25日付によると、この日は森友学園問題の報道で他局に先行され、裏付け取材を命じられた直後に、福田氏から連絡があったため、(セクハラ相談した)別の上司に福田氏と会うことを伝えた上で取材に行ったとしている。
これが事実なら(池上氏は取材活動との見方に否定的だが)女性記者が福田氏に会いに行ったのは「裏付け取材を命じられた」取材活動だったことは明白だ。社長会見の後日に池上氏の「ななめ読み」が載っているから、池上氏は取材活動と知った上で報道倫理を問う読売を批判したのだろうか。そうなら、いささか恣意(しい)的な読売批判ということになる。
社長会見ではテレ朝がセクハラを報じなかった理由について記者の質問が集中したという。池上氏にそうした疑問が生じなかったなら、ジャーナリストの資質が問われる。「ななめ読み」を斜めに読めば、テレビ局お抱え評論家の限界が見えてくる。
(増 記代司)