防犯カメラ設置をめぐる「虚偽報道」にだんまりを決め込む朝日と東京
◆刑法犯が大幅に減少
犯罪が大幅に減っている。そんな吉報が先週、伝えられた。昨年1年間の刑法犯が戦後最少だったという。前年比8%減の約91万5000件で、15年連続の減少。ピーク時の2002年(285万件)の3分の1に減ったというから、治安回復を誇ってよい。
なぜ減ったのかというと、刑法犯の7割超を占める窃盗犯が大幅に減少したからだそうだ。読売18日付夕刊は「ひったくりや車上荒らし、路上強盗などの街頭犯罪が大幅に減少した。その背景にあるのは、捜査の武器となっている防犯カメラの普及だ」としている。
検挙された刑法犯の7・8%は防犯カメラなどの画像が犯人特定の端緒だった。ひったくりでは約30%、すりでは約19%を占め、警察幹部は「街頭犯罪が減っているのは、高い確率で逮捕されるため、割に合わない犯罪になっているためではないか」と分析している。
全国には警察が設置している約1700台のほか、数百万台の民間の防犯カメラがあり、捜査に活用されている。神奈川県座間市の9人殺害事件でも防犯カメラの画像が容疑者の行動を裏付ける証拠の一つになった。防犯カメラの活躍は言ってみれば、長官賞モノだ。
◆難癖つけた左翼勢力
ところが、防犯カメラの設置に難癖をつけ続けてきたのが左翼勢力だ。ある商店街がコソ泥対策で防犯カメラを設置しようとしたところ、市民グループを名乗る団体から「いつも監視しているような商店街には客が来なくなるぞ」と脅されたという話があるほどだ。
設置反対をあおったのは左派新聞だ。05年のロンドン地下鉄同時テロ事件は防犯カメラで容疑者が特定されたが、取材した東京の特報部記者は「英国人が街中の監視カメラを『あった方がいい』と容認する姿に驚いた」と批判している(06年4月17日付)。平和ボケの東京記者に英国人の方が驚いたに違いない。
朝日は確信犯だと言ってよい。折しも先週、オウム教団の一連の裁判が終わったが、ここでも防犯カメラに異議を唱えていた。オウム担当の看板記者で「オウム法廷」(朝日文庫=全13巻)の著作がある降幡賢一氏(10年退社)はこう述べていた。
「気がかりなのは、放っておけば再び無差別大量殺人テロ事件のような災禍が起きるかもしれないと、私たちが、公権力による強制や監視、取り締まりにすべてを委ねようとするようになったことだ。…街角の監視カメラは、もう珍しいことではない。教団を『テロ集団』として排斥しながら、一方で不安と不信、疑心にあおられて、互いを監視しあい、個の自由を失おうとしている」(05年3月20日付)
地下鉄サリン事件から今年3月で23年になるが、「互いに監視」し合うような社会になっただろうか。その後、テロ対策として特定秘密保護法やテロ等準備罪が整備されたが、それで息苦しい社会に陥っただろうか。全てノーだ。逆に防犯カメラの普及で犯罪が大幅に減って暮らしやすくなった。
◆お天道様の役割代行
この現実を朝日と東京は直視すべきだ。そろそろ白旗を掲げて防犯カメラをめぐる「虚偽報道」を謝罪すべきだ。ところが慰安婦報道がそうだったように今回も白を切ろうとしている。両紙は18日付夕刊で刑法犯激減報道を伝えたが、肝心の防犯カメラについて一言も触れない。
加計学園の獣医学部設置をめぐる国会審議では加戸守行・前愛媛県知事の発言をほとんど報じず、「報道しない自由」を決め込んだ。今回もそうするつもりらしい。堂々たる偏向報道である。
ところで、前記の商店街だが、市民グループが監視されるから人は来ないと脅されたが、実際はその逆で来なくなったのは怪しい人物だけだった。今では安心できる商店街としてにぎわっている。
古来、日本では「誰が見ていなくともお天道さまが見ている」と言ったものだ。そのお天道さまを否定するやからは悪人と相場が決まっていた。現在はお天道さまに代わって防犯カメラが見ている。それに反対する朝日などの左派新聞はどうか。少なくともその論調を真に受ければ、国も人も危うくなる。
(増 記代司)





