意に染まぬ「民意」にケチをつけ議会制民主主義を否定する朝日社説
◆選挙結果認めぬ論調
アフリカのケニアでは大統領選挙の結果に異議が唱えられ再選挙が行われたが、野党がボイコットし、騒乱にまで発展している。幸いなことに、日本では選挙にまつわる、そんな騒ぎはない。
先の総選挙で与党が圧勝し、安倍晋三政権が信任された。これを受け入れない政党は1党もない。現に、当選者は与野党そろって議員バッジを胸に着け、総理を指名する特別国会に臨んだ。選挙結果が「民意」だと疑わないからだ。
ところが、朝日は総選挙がまるでケニアの選挙だったかのように「民意」にケチをつけている。「多様な民意に目を向けよ」(10月23日付社説)「『法の支配』立て直せるか」(24日付、根本清樹・論説主幹)「民意を担えぬ立法府の敗北」(29日付、大野博人・編集委員)等々、選挙結果を容認しない論調を張ってきた。
それに輪をかけたのが5日付社説だ。題して「政治の可能性 『そんなもん』を超えて」。これだけでは、何を言いたいのか、さっぱり分からないが、読んでみても難解な「作文」だった。
社説は、安保法制への反対運動を展開した元シールズのメンバーらが衆院選公示前に開いた集会を取り上げ、登壇した立憲民主党の枝野幸男代表の演説と、それを聞いた若者の感想をリポート風につづっている。「そんなもん」とは、その若者の政治不信の言葉だった。
枝野演説を「みなさん。草の根。民主主義。三つの言葉が何度となく繰り返される」と褒めちぎり、2年前の安保法制の採決時に国会前で「野党はがんばれ」のコールが夜空に響いていたと振り返り、その「共闘」の経験が立憲民主ブームだとする。
◆「政権交代」は退屈?
そして「政治とは本来、豊かで、自由で、可能性に満ちた営みだ。しかし、『政権交代』『二大政党』という思考の枠にはまり込んでしまった現下の政治は、なんと窮屈で退屈なことか」と独り合点に述べ、さらにこう言う。
「理念や理想はやせ細り、『選挙で勝てばいいんでしょ?』とばかりに国会の議論は空洞化し、少数意見は切り捨てられ、主権者は勝敗を決める駒として使い捨てられる――こんな政治を、私たちは望んできただろうか」
それで安保法制への反対闘争のようなデモによって自公政権打倒へ「政治の可能性」を開こうと、「そんなもん」と白けている若者に参加を呼び掛けている。朝日社説はそんな内容だった。
だが、これほど自己矛盾した論もない。総選挙は「政権選択」選挙だから「政権交代」を問えと朝日自身が主張してきた。安倍政権打倒へ野党は団結せよ、共産党との「民共共闘」もためらうな、と野党統一候補の擁立を促し、事実上の二大政党による対決構図を描いてきた。
それが、野党が分裂したからといって、今になって「政権交代」「二大政党」が窮屈で退屈だとは、いくら意に染まない選挙結果でも変節が過ぎている。それにしても「主権者は勝敗を決める駒として使い捨てられる」とは何という言い草だろう。
◆多数意見を切り捨て
少数意見は切り捨てられると言うが、朝日は多数意見を切り捨てている。望まぬ「民意」はなかったことにするつもりなら、それこそ非民主主義的態度、独裁者の論理だ。
総選挙では約5500万人の有権者が投票した。小選挙区で自公候補が獲得したのは約2700万票。これに対して朝日が入れ込む立憲民主と共産、社民の護憲3党は約1000万票。比例の得票率では46%対29%だ。
総選挙後の朝日の世論調査(25日付)では、安倍内閣の支持率は42%で、不支持率39%を上回っている。政党支持率は自民39%、立憲民主17%。ダブルスコアで自民の支持が高い。どこから見ても民意は明らかだ。
朝日の言う「政治の可能性」をデモで開くという真意は奈辺(なへん)にあるのだろうか。ロシア革命でも思い浮かべているのか。少なくとも憲法違反の発想だ。朝日が護憲を叫ぶ現行憲法の前文は冒頭に「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」するとしている。
わが国は議会制民主主義の国なのだ。それを否定する朝日はロシア革命の血を引いているとしか思えない。
(増 記代司)