「バルフォア宣言」100周年でパレスチナの無策を非難した英誌
◆“二枚舌外交”の一環
イスラエルの独立につながった「バルフォア宣言」から100年を迎える。宣言が作成された11月2日には、ネタニヤフ首相がパレスチナの旧宗主国英国を訪れ、メイ英首相と共に記念の祝賀会に参席する予定だ。
「祝賀」すべき出来事かどうかは、現地でも意見が分かれるが、イスラエル紙エルサレム・ポストは社説で、「(ユダヤ人のパレスチナ帰還を推進する)シオニストの運動の最初の重要な外交的成果」と位置付けるとともに、英国がイスラエル建国を遅らせたことは英国の「重大な犯罪」だったと断罪している。
宣言については第1次大戦後の中東への対応をめぐる英国の二枚舌外交、三枚舌外交の一環として批判的に捉えられることが多い。
アラブ諸国は、イスラエルの独立を容易にする宣言に強く反発。1948年のイスラエル独立は、アラブ諸国とイスラエルとの第1次中東戦争につながった。パレスチナ自治政府のアッバス議長は昨年、英国に対し「パレスチナを承認し、宣言について謝罪する」(英誌エコノミスト)ことを求め、法的措置も辞さないと述べたという。
宣言は当時のバルフォア英外相が、シオニズムを支援していたウォルター・ロスチャイルドに宛てた書簡で、パレスチナでのユダヤ人の「民族的郷土」の樹立を支持することが明記されている。
◆メイ首相は謝罪拒否
エコノミストによると、英内閣が宣言を承認したことを受けて、英外交官マーク・サイクス氏が、後にイスラエル初代大統領となるハイム・ワイツマン氏に「男の子ですよ」と「朗報」を伝えたという。だが、宣言はユダヤ「国家」を認めたものではなく、民族的郷土建設に「最善を尽くす」とだけ記されるなど「曖昧」で、ワイツマンは後に「(この子は)私が望んだものではなかった」と落胆を記していたという。
パレスチナでのアラブ人の反乱に手を焼いていた英国は39年に、「アラブ人をなだめようと、ユダヤ移民を制限し、ユダヤ国家の樹立を支持しない」(エコノミスト)白書を承認している。
ポスト紙は、「ナチス・ドイツが『最終的解決』を立案し、実行しようとした当時、英国が39年の白書を承認しなければ、当時、欧州に住んでいた数百万人のユダヤ人は救われていた可能性がある」と指摘、英国の優柔不断がイスラエルの独立を遅らせ、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を助長したとみている。
メイ首相は、バルフォア宣言について謝罪するよう求めた請願に対して「イスラエル国の建設に貢献できたことを誇りに思う」「(ユダヤ国家建設は)正しく、道徳的なことだった」と宣言の正当性を訴えている。
◆内からの改革求める
パレスチナ自治政府は、宣言を「パレスチナへの裏切り」と主張しているが、ポスト紙は「真の裏切り者は(47年の国連パレスチナ分割決議を拒否した)パレスチナの政治指導者らだ」と手厳しい。だが、当時のアラブ諸国からみれば、移住してきたユダヤ人に土地を渡せないと考えるのは当然だろう。独立を宣言しても、容易につぶしてしまえるという誤算もそれを手伝った。
パレスチナ自治政府は現在、国連のオブザーバーとしての地位を得、多くの国から国家として承認されている。だがエコノミストは「独立は(第3次中東戦争の)67年よりも遠のいている」と現在の自治政府の無策、腐敗ぶりを批判している。
宣言が、後のイスラエル建国に一定の役割を果たしたのは確かだろう。だが、エコノミストは「英国がイスラエルを造ったのではない。どのような大国もパレスチナ国家を造れない。100年の対立を終わらせるものがあるとすれば、それは内からのものでなければならない」とパレスチナの内からの改革を求めた。
ポスト紙も「パレスチナが独立できないのは、判断ミスと指導部の失敗が原因であり、バルフォア宣言のせいではない」と訴えている。
エコノミストは、バルフォア宣言は「パレスチナにとっても教訓」となり得ると指摘した。歴史的宣言100周年が、中東和平実現への足掛かりになることに期待したい。
(本田隆文)





