安倍政権批判に客観報道を装い不破氏を登場させた毎日の編集手法

◆まるで野党の機関紙

 「強行採決」の見出しが躍り、「言論失った国会」「社会の委縮 不安」「監視社会 流れ加速」といった野党の主張がそのまま紙面を飾っている。朝日と毎日の15日付夕刊はまるで野党機関紙だった。

 同日朝にテロ等準備罪を新設する改正組織犯罪処罰法が「徹夜国会」を経て、参議院本会議で賛成多数で可決、成立した。それに両紙は猛反発。反対派の「プロ市民」を大きく取り上げ、それをもって客観報道を装っている。こうした編集手法は特定秘密保護法、安保関連法以来のものだ。

 では、「言論失った国会」の実際はどうだったのか。産経16日付は、「(同法の)成立は、ちぐはぐな対応に終始した民進党を、自民党が綿密な策略で振り切った結果だった」としている。

 早期成立の端緒をつくったのは民進党の稚拙な国会対応だ。与党が13日の参院法務委員会で採決日程を提案する前に、金田勝年法相への問責決議案を提出。これを与党は審議放棄と見なし、法務委の採決を省略する「中間報告」による成立へと一気にかじを切った。産経はそう言う。

 同法はもともとテロ防止のためのものだ。わが国は国際組織犯罪防止条約をいまだ批准しておらず、国際テロ情報の入手が阻害されている。これでは国際連携の「破れ傘」になりかねない。本紙16日付社説が指摘するように「情報戦への対応が主眼」だ。

 そういう論議を野党は1月の通常国会開催時から放棄してしまった。あくまでも「安倍1強批判」「反国家」の立ち位置から“揚げ足取り質問”に終始し、おまけに審議放棄となれば、「中間報告」による採択も致し方あるまい。

◆客観報道を葬る朝毎

 新聞もただされるべきだ。新聞倫理綱領には「新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない」とある。新聞の責務を「正確と公平」とするのだ。だが、朝毎は客観報道を葬った。

 倫理綱領は「論評は世におもねらず、所信を貫くべき」ともしている。だから論評なら論評として堂々と論じるべきだ。ところが、記事に自らの論評を織り交ぜて客観報道を装う紙面作りが目立った。これは倫理違反ではないか。

 毎日9日付オピニオン面の「論点」がそうである。「乱れる政治の言葉」と題し、閣僚の失言を取り上げ、「安倍首相の言葉もまた、論点外しや感情的な言い回しが目立つ」と批判し、不破哲三・共産党元議長、金田一秀穂・杏林大学教授、デープ・スペクター・放送プロデューサーの3氏に論点つまり論議すべき中心点を語らせている。

 言葉に関わりの深い大学教授や放送プロデューサーは分かるが、不破氏は解せない。それも紙面トップだった。同氏のプロフィールに「69年から2003年まで衆院議員11期。論戦した首相は佐藤栄作氏以来18人にのぼる」(同欄のプロフィール)とあるが、いずれも共産党の活動だ。

 国会議員OBとして不破氏を登場させたのなら、不見識極まりない。現在も共産党の最高意思決定機関である中央委員会常任幹部会委員という、れっきとした最高幹部だ。公安調査庁は同党が武装闘争の危険性があるとして調査対象団体に指定している。

◆国会よりも党が上位

 ふつうの政党なら国会議員でなくなれば、党幹部の職からも外れるが、共産党は国会よりも党組織を上位に置くので(政権を獲ってもそうなのだろう)、不破氏のような“権力者”は退くことがない。04年に志位和夫氏が委員長になったが、実権は不破氏が握っているとされる。

 常任幹部会は毎週、方針や見解を決定し、それを「常幹メモ」という指令書にして下部組織に発している。しかも「民主集中制を組織原則」(党規約第3条)としており、党員は決定事項を忠実に実行する義務を負っている。むろん不破氏もそうだ。

 だから毎日紙上の不破氏の「論点」は個人のものでなく、党の見解と見る外ない。毎日が「公平」に配慮するなら、他党の代表にも紙面を提供すべきだ。それとも不破氏を載せたのは「論評は世におもねらず、所信を貫く」との信念からなら、それこそ立派な赤旗新聞だ。

 さて、どっちだろう。

(増 記代司)