天皇の在り方を戦後憲法による「社会契約」と捉える風潮を煽る朝日

◆「本源的契約」を重視

 天皇陛下の退位を実現する特例法が成立した。昨年8月に陛下がお気持ちを表明されてから、1年近くにわたった論議にようやく結論が出た。

 その中で強調されたのは「国民の総意」だったが、「総意」は果たして現世の人々だけのものなのか。そんな疑問を抱いた人もいるはずだ。18世紀の英思想家エドマンド・バークは「祖先から継承してきたものを、ある世代が自分たちの勝手な思い込みや薄っぺらな考えで改変することは許されない」と述べていたのを思い出す(『フランス革命についての省察』)。

 天皇陛下が退位されるのは光格天皇以来200年ぶりだという。同時代の欧州ではフランス革命をめぐって一大論争が起こり、英国でも立憲君主制に否定的な論議があった。これに対してバークは、フランス革命により提示された「社会契約」でなく、「本源的契約」を重視した。

 本源的契約とは、祖先から相続した目に見えぬ法(コモン・ロー)や世代を超えて生命を得ている慣習・習俗、諸制度など多年にわたり根本的に保持してきた、蓄積された過去の叡智(えいち)のことだという。これをバークは「時効(規範)の憲法」と名付けている。

 今日の英国もこうした考えを継承し、成文憲法を持たず、マグナ・カルタ(自由の大憲章)以来の契約や諸法律をもって「憲法」としている。

 わが国の退位をめぐる論議では歴史や伝統を顧みず、天皇の在り方を戦後憲法による「社会契約」のように捉える風潮がある。それを朝日は煽っているようだ。

◆変わらぬ天皇軽視観

 退位を論じた朝日9日付社説は、日本の歴史が現行憲法の制定で始まったと言わんばかりに「憲法70年 『象徴天皇』不断の議論を」と、皇室論議に憲法のくびきを嵌(は)めようとした。そこにあるのは「戦後日本」だけで、日本の悠久な歴史や伝統は一切消し去られている。

 なにせ、この朝日社説には憲法の文字が見出しを含めて10カ所も登場する。まるで現行憲法を「王座」に据えたかのようだ。その上、「『動く天皇』への懐疑を説く専門家もいた。公的行為の名の下、天皇の活動が無限定に広がることになれば、その存在感と権威は過度に強まり、危ういとの主張だ」と言い、さらにこう続けた。

 「日本に破局をもたらした戦前の反省に立って、象徴天皇制が導入された。いつか来た道に戻ることのないよう、しっかりとタガをはめておかなければならないという指摘はもっともで、心しなければならない」
 なんと驚いたことに天皇陛下のご活動に「タガをはめろ」と主張しているのだ。こうした態度は今に始まったわけではない。そもそも朝日は皇室報道で敬語を使わない。

 東日本大震災直後、天皇陛下はビデオメッセージを発せられ、被災地訪問を重ねられたが、こうした陛下のご活動を朝日11年5月16日社説は「国政に関する権能をもたないと憲法で定められた天皇に、高度な政治性を託し、あるいは見いだそうという動き」と批判し、「(ビデオ)放送も被災地訪問も、『公的行為』として内閣の補佐と責任において行われることを忘れてはならない」と言った。

 この社説から皇室に対する敬意はみじんも感じられなかった。憲法の「公的行為」に基づくのだから、天皇にではなく憲法にひれ伏せと言っているに等しい論調だった。退位をめぐる社説も同様のことを主張している。朝日の天皇軽視観に変わりがないことを改めて確認させられた。

◆歴史を誇る伝統国家

 さて、他紙はどうか。特例法の付帯決議は、「女性宮家」創設の検討を求めているが、産経と本紙はこれを良しとせず、皇統の男系継承の堅持を唱え、その方策として「今も親族として皇室と交流する旧宮家の皇籍復帰」(産経)を提案している。

 これに対して読売、毎日、日経の3紙は伝統に意を介さず、「女性宮家」の創設に前のめりだ(いずれも10日付社説)。朝日と3紙にはしばしば「国民の総意」が出てくるが、それが人為的な「社会契約」(個人間の契約)を意味するなら、薄っぺらな考えだ。わが国は歴史を誇る伝統国家だ。バークの言った「本源的契約」の視点を忘れないでいたい。

(増 記代司)