「暴力」と「言論」を峻別せずに右派の主張を暴力のように論じた朝毎

◆赤報隊事件から30年

 1987年の憲法記念日の夜、散弾銃を持った男が朝日新聞阪神支局に押し入り、小尻知博記者(当時、29歳)が銃撃され死亡した。同事件からさる5月3日で30年が経(た)った。「赤報隊」を名乗る犯行声明には「反日分子には極刑あるのみ」などとあったが、犯人は捕まらず、2003年に時効となった。

 産経2日付主張は、「朝日新聞の言論に対して暴力と恐怖で屈服させることを企図したテロである。それが白色テロであれ、赤色テロであれ、主張の如何(いか)に関係なく、許されざる蛮行である。言論に対峙(たいじ)すべきは、言論である。卑劣な銃弾によって、ペンを曲げることはできない」と、「暴力には言論で対決する」と厳しく論じている。

 さらに「産経新聞と朝日新聞は、往々にして異なる論調を展開し、対立する。ただし、これに対する暴力は共通の敵である」とし、末尾に「(民主主義を否定する)いっさいの暴力と破壊に、言論の力で対決してゆく」とする「産経信条」を掲げ「決意は揺るがない」と結んでいる。

 読売2日付社説も「言論の自由を守る誓い忘れぬ」と表明する。「言論の自由は、民主主義を支える根幹である。暴力には決して屈しない。言論には言論で応じる。この価値観を、社会全体で改めて確認する必要があろう。自由な言論を牽引(けんいん)する。それが報道機関の大切な役割だ」

 いずれも真っ当な見解だ。朝日2日付の天声人語は「『私は君の言うことに反対だ。しかし、君がそれを言う権利は命をかけて守る』。フランスの思想家ボルテールの言葉として伝わる。違いと対立を認め、それでも排除しない。自由な社会が必要とする鉄則だろう」と書く。産経と読売はその鉄則を再確認した。

◆論点をすり替える

 ところが、朝日と毎日の論調は違和感を抱かせた。「暴力」と「言論」を峻別(しゅんべつ)せず、右派の主張をまるで「暴力」のように論じていたからだ。毎日1日付社説は「むしろ広がる異論封じ」と題し、「(犯人は)戦前回帰を求める思想の持ち主の可能性がある」とし、次のように言った。

 「異論を封じる手段は有形の暴力とは限らない。赤報隊の使った『反日』という言葉は、今やインターネット上や雑誌にあふれかえる。自分の気に入らない意見を認めず、一方的にレッテルを貼って排除する。激しい非難や極論は相手を萎縮させ、沈黙をもたらす。異を唱えにくい時代へと時計が逆戻りしている」

 直接的暴力と言論をごちゃ混ぜにしている。異論封じを言うなら、話はあべこべだ。安保関連法を「戦争法」、テロ準備罪を「治安維持法」、安倍政権を「一強」などと一方的にレッテルを貼っているのは当の毎日ではないか。毎日が非難や極論に萎縮、沈黙しているとはとても思えない。

 一方、朝日はと言うと、この30年、「異論」をテロリストと同列のように論じ、犯人扱いされた団体や人々が少なからずいた。事件が時効となった02年5月3日付では有事立法やスパイ防止法などを遡上(そじょう)に載せ「真実は戦争の最初の犠牲者」などと、これら法案や言論がまるでテロの元凶と言わんばかりに論じた。問うべきはテロや暴力なのに論点を巧妙にすり替えた。これこそ「異論封じ」を思わせた。

 今年の2日付には「覚悟をもって喋る、明日も」と題する社説を掲げ、その中で「異論を排除する、すさんだ言葉の横行は、安倍政権の姿勢と無縁ではなかろう」と矛先を安倍政権に向け、濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せようとしている。

◆公務とテロを同列に

 さらに驚かされたのは琉球新報4日付社説「言論封殺には屈しない」だ。沖縄の米軍北部訓練場でヘリパッド建設の取材に当たる琉球新報、沖縄タイムス両紙記者を警察が現場から排除したとし、「(安倍政権が)警察の恣意(しい)的な権限行使を擁護することは、国家が言論規制に手を貸しているに等しい」と、安倍政権をやり玉に挙げている。

 警察の公務と銃撃テロ事件を同列に置くのは、いくら何でも論理の飛躍だ。そう言えば、レーニンは「国家は階級を抑圧するための暴力組織」(『国家と革命』)としたが、琉球新報はこのご託宣(たくせん)に従っているのだろうか。左派紙は卑劣な銃弾を利用し、ペンを一層、左へと曲げている。

(増 記代司)