「議院内閣制」を忘れ首相改憲発言の肩書き使い分けを批判する朝毎
◆提起が憲法論議に喝
2020年を新しい憲法が施行される年にしたい、それも9条改正で。そんな安倍晋三首相の提起が憲法論議に“喝”を入れた。
その一撃となったのは読売3日付の安倍首相のインタビュー記事だ。改憲の目標時期を初めて明らかにし、具体的な改正項目として「本丸」とされる9条を挙げた。読売の“スクープ”で、9条がノーマークだった他紙の3日付憲法特集がかすんで見えた。
安倍発言は「自民党総裁として」で、国会論議で真意を問われた首相は「自民党総裁としての考えは読売新聞に相当詳しく書いてある。ぜひ熟読してほしい」と答弁、これがライバル護憲紙をさらに刺激したようだ。
毎日12日付は重要な政策などの発表に「メディアを選別し、都合のよい情報発信をしている」と反発する(メディア面)。それによると、首相は4月24日夜、読売の渡辺恒雄・グループ本社主筆と会食、その2日後の26日に失言問題で今村雅弘・復興相(当時)を更迭した後、同紙の前木理一郎・政治部長のインタビューに応じたとしている。
その上で、「(安倍首相は)批判的な質問を受けずに済む方法を選んでおり、メディアを選別した非民主的な手法……読売新聞も首相のメディア戦略に呼応し、利用されている。報道機関として期待される権力監視の役割を果たすどころか、政権に協力し一体化していると言われても仕方がない」(鈴木秀美・慶応大教授)との批判コメントを載せた。
◆“単独”批判は泣き言
一方、朝日11日付社説は「首相と自民党総裁の肩書の、なんとも都合よい使い分けである。国会議員の背後に多くの国民の存在があることを忘れた、おごった発言だ」と論じた。13日付の「天声人語」も取り上げ、紙面にはないが、ネットでは「拙(つたな)い分身の術」というタイトルを付けている。「分身」が稚拙と言いたいらしい。
これに対して読売は13日付に「憲法改正報道は重要な使命」と題する溝口烈・東京本社編集局長の署名記事を掲載した。溝口局長は、読売はこれまで三次も改正試案を発表し「長年封印されていた憲法改正論議を呼び起こした」とし、憲法施行70年の節目に改憲を党是とする政権党・自民党総裁の安倍首相に直接取材するのは「国民の関心に応えることであり、本紙の大きな使命」と反論、インタビューは「数か月前から申し込み、粘り強く交渉した結果、実現したもの」としている。
どうやら二つの論点がありそうだ。一つは単独インタビューが報道機関の役割を逸脱しているかという点だ。
新聞は権力機関の監視だけでなく、政策提言の役割も担うから、この批判は当たらない。政策が一致するなら、政権に協力しても一向に構わない。そんな新聞社の単独取材に政治指導者が応じるのは他紙でもしばしばあることだ。目くじら立てる話ではない。
それが「批判的な質問を受けずに済む方法」(鈴木氏)とするなら、新聞の単独取材はすべて疑問視されよう。毎日も小池百合子都知事の単独インタビューを行ったばかりではないか(4月18日付)。とやかく言うのは泣き言だ。
◆制度に「分身」入れる
もう一つの論点は、朝日が言う「拙い分身の術」なのかという点だ。これには現行憲法が採る「議院内閣制」から考える必要がある。同制度は国民の投票による多数党が議会で首相を選ぶので、党首と首相を使い分ける「分身」を制度設計に入れている。
例えば、国会の表決に首相は議員として参加するが、新聞は「安倍首相が投票」と記しても「安倍議員が投票」とは書かない。分身はふつうのことだ。安倍氏も国会議員でその背後に多くの国民の存在がある。それを忘れた朝日こそ「おごった発言」だ。
毎日12日付社説は「憲法改正案の発議権を持つ国会の頭越しに行政府の長が具体的な改憲方針を明示するのは異例だ。首相は国会における憲法論議のルールを軽んじている」と批判する。
だが、安倍首相は「行政府の長」の発言でないと断っている。「改憲を政局に利用しない」との暗黙の了解があると毎日は言うが、政局に利用しているのは野党や護憲紙ではないか。ルールを軽んじているのはどっちだ。よくよく見定めておきたい。
(増 記代司)