「黒塗り」文書に「情報開示の悪化」を決め付けたアエラ記事の誤り
◆圧力をかけた文書?
アエラ5月15日号で、「問われる原子力規制委員会の情報公開 新しい判断は『黒塗り』」という意味深長なタイトルの記事が掲載された。
2006年4月に原子力安全・保安院が原子力安全委員会(原安委)に送った文書の開示を要求したところ、原子力規制委員会(規制委)からこの4月3日、「表題と数行の内容以外は、ほとんど真っ黒に塗りつぶされた」文書が返ってきたというのだ。(規制委は福島第一原発事故後の12年、保安院と原安委が統合した行政組織)
文書は、耐震設計審査指針に関するもので「それまでに造られた東京電力福島第一原発のような古い原発はすべて『既存不適格』とされてしまう恐れがあったため、そうならないように保安院が原安委に対し、新指針を古い原発に適用しないように圧力をかけた文書だ」という。
「黒塗り」の理由について当の規制委は「国の争訟に対処するための方針が含まれているものであることから、公にすることにより、国の訴訟当事者としての地位を不当に害するおそれがあり、情報公開法第5条第6号ロに該当するため、不開示とした」と説明した。
そこで記事では、「(福島第一原発)事故の大きな要因は、国の情報隠しにある。規制委は組織理念として『意思決定のプロセスを含め、規制にかかわる情報の開示を徹底する』としているが、保安院より明らかに悪化している」として、規制委をやり玉に挙げている。
◆発端は前橋地裁判決
いわゆる三段論法の手法による結論だが、まったく偏った、原発反対論者らを利する牽強(けんきょう)付会の内容だ。
規制委が答えた「不開示」の理由は、福島第1原発事故の影響で避難した住民らが、国と東京電力に損害賠償を求め前橋地裁に訴え、この3月17日に出た判決に対してのものだろう。既に、東電経営陣らに対する刑事告訴・告発をめぐり、検察はいったん不起訴と判断し、地震学者への聴取結果などを基に、巨大津波の予見可能性は否定されていた。
それが前橋地裁の「原発事故の予見や回避は可能だった」という判断で覆り、反原発派の運動の息を吹き返させたという経緯がある。国と東電は、それを不服として、それぞれ東京高裁に控訴した。
今、東電や国に対して損害賠償を求める集団訴訟が札幌から福岡まで、延べ約30件起こされており、原告は約1万2000人にも上る。記事は、彼らに対しての大きな応援歌になっている。
これに対し、規制委はれっきとした国の行政組織。「国の訴訟当事者としての地位を不当に害する」可能性があるものについては、その芽を摘もうとするのは理にかなっている。「情報開示の悪化」の指摘は筋違いだ。
第一、この06年の文書の内容について「新指針を古い原発に適用しないように圧力をかけた」など、いかにも秘密めいた内部情報のような描写だ。だが、黒塗りのない当の文書は「12年5月17日、保安院が記者会見で配布したもの」である。
また、原発の安全性を確かめる「バックチェック」について、事故前には、設置許可された原発に対してさかのぼって適用する法的仕組みはなかった。事故後、同様の「バックフィット」という仕組みが、規制委の新規制基準に反映され厳しく適用されるようになった。現在の科学では自然現象を全て予測することは不可能であることを世論の共通認識とし、それだけに微に入り細に入る検査基準となっている。
「フランスの原発が高潮によって電源喪失した事故(1999年)、インド洋津波でインドの原発が止まった事故(04年)、貞観津波のシミュレーション(09年)など、福島第一原発に事故につながるリスクを予見できる情報についても、保安院は隠したままだったのだ」というのは後知恵による推測でしかない。
◆原発の無謬性に慢心
事故前には確かに、原子力の必要性や安全性ということについて、政府の原子力委員会から社会に向かって、一方的な発言が多かった。だが、自戒にもなるが、それに対しマスコミのチェック機能が至らなかったことも事実だ。原発の無謬(むびゅう)性について、国民全体が慢心していたという指摘も間違いではない。しかし、それらを互いにあげつらう時期はとっくに過ぎた。原発再稼働に向けて、その安全性を真剣に追求する時なのだ。
(片上晴彦)