憲法70年/経年劣化認めぬ頑迷な朝日にこそ必要な「頭の切りかえ」

◆読売も「70年」を評価

 「今まずやらなければいけないことは自衛隊についてで、残念ながら憲法学者の多くが違憲と言っている。そういう状況を変えるのは私たちの世代の責任だ」

 安倍晋三首相(自民党総裁)は9日の参院予算委員会で、憲法改正に関し、9条への自衛隊の根拠規定を追加することを最優先する方針を明らかにした。

 首相が国会で9条改正に言及したのは、憲法記念日の3日に改憲推進派の集会に寄せたビデオメッセージで、現行の9条の1、2項の戦争放棄規定を維持した上で自衛隊の根拠規定を追加する案を打ち出して以降、初めてである。質疑では、海外での武力行使につながるとする野党の批判に「そうしたことにはならない。1、2項を残すのだから、当然、今まで受けている憲法上の制約は受ける」と反論した。

 日本国憲法は憲法記念日の3日に、施行から70年目の節目を迎えた。この日の各紙の論調は、いずれも長寿を祝う古希の70年という区切りを枕詞(まくらことば)に書き出している。

 憲法の70年について朝日は「国民主権、人権尊重、平和主義という現憲法の基本原理が役割を果たしたからこそ、日本は平和と繁栄を達成できた。ともかくも自由な社会を築いてきた」と絶賛した上で「その歴史に対する自負を失うべきではない」と訴えた。70年を評価する見解を示したのは何も朝日だけではない。「国民主権、平和主義、基本的人権を3原則とする憲法は、国民に広く支持され、定着した」(読売)、「戦後日本は奇跡の復興と経済成長を成し遂げた。このことは現憲法が概ね評価を得てきた理由ともなっている」(小紙)とする冷静な分析もある。

◆古色蒼然とした主張

 こうした評価をする一方で「ひとになぞらえれば、いよいよ古希である。いまの憲法が施行されて70年を迎えた。あちこちガタが来てもおかしくない。だから、大事にいたわるのか、それとも手術に踏み切るのか。思案のしどころだが――」と書き出した日経のように、70年の年月を考えれば当然あっておかしくない経年劣化の現実をそのまま指摘するか、この間に日本を取り巻く内外情勢の激変を直視して考察するかである。

 例えば、読売は「様々な歪(ひず)みや乖離(かいり)が生じているのは確か」だと認め、小紙は「(施行直後と違って)現在は9条の解釈によって保持する自衛隊をほとんどの国民が支持している」と70年の間の国民の意識の顕著な変化に言及した。

 一方、産経はずばり、核・弾道ミサイル強化に突っ走る北朝鮮の脅威を前に「憲法9条と前文が、日本の平和を保つ上で役立たない現実」に切り込むといった手厳しい憲法批判を展開した。

 これらに対して、毎日が言うところの「憲法には一切手を触れさせまいとする原理主義的な護憲勢力」の本山ともいえる朝日は、今では古色蒼然(そうぜん)とした論を繰り返した。憲法が誕生した70年前の新時代に、後の首相、芦田均氏が呼び掛けた「頭の切りかえ」を持ち出し、新時代がもはや旧時代となった今もなお、日本を取り巻く厳しい国際情勢などどこ吹く風とばかりに訴えた。「施行から70年。憲法は国民の間に定着したかに見える。それでは為政者の頭はしっかり切りかわったか。残念ながら答えは否である」。あるいは「安倍政権の下で、憲法は今、深く傷つけられている。かつてない危機にあると言わざるをえない」と。

 経年劣化など認めず、綻(ほころ)びや傷はすべて安倍政権のせいだと言わんばかりの主張の展開は、今の時代に「頭の切りかえ」が求められるのは頑迷な朝日の方だと言うべきであろう。

◆社説より事態が先に

 毎日はさらに「『押しつけ憲法』論を最も濃厚に引き継いでいるのが、安倍晋三首相」だとし、対する護憲勢力と憲法観をめぐる深い断絶を「両者は永遠に混じりあわない水と油のように反目し、憲法に対する冷静な議論を妨げてきた。/憲法を全否定する姿勢も、憲法を神聖視するのも、極論である」と、両者の間に立つポジションから裁いた。

 だが、すでに安倍首相は3日のビデオメッセージや国会論議で、9条の1、2項を維持しつつ自衛隊規定を追加する踏み込んだ提案をしたことで分かるように、広範な国民の理解を得ることを念頭に頭を切り替えて臨んでいる。社説よりも事態が先に進んでいるのである。

(堀本和博)