千葉の女児殺害事件が投げ掛けた深刻な課題に照明を当てた新潮

◆男の素性暴いた文春

 この週「金正恩」は「渋谷」に負けた。週刊誌で誌面が割かれた大きさである。渋谷とは千葉県松戸市で9歳女児の死体遺棄容疑で逮捕された小学校の元「保護者会長」渋谷恭正容疑者(46)のことだ。核・ミサイルを振り回す金正恩よりも、日本の日常生活で「いまそこにある危機」を茶の間に投げ掛け、震撼(しんかん)させている。

 殺害されたのはベトナム国籍のレェ・ティ・ニャット・リンちゃん。同市内の小学校3年生だった。渋谷容疑者は地域でも裕福な家庭で育ち、地元活動に精力的に参加、通学路に立って見守り活動をしていた、いわば地域で誰もが知る人物だった。彼の素性を週刊文春(4月27日号)が暴いている。

 渋谷容疑者は小児性愛者である。家宅捜索でも「児童ポルノ」のDVDなどが押収されている。以前の勤め先でも自身の性癖を明らかにしていた。しかし、彼が「凌辱鬼(りょうじょくき)」であることを地元では誰も知らなかったようだ。もし、知っていれば、保護者会長に立候補したとき、反対する人が出てきただろう。

 文春は渋谷容疑者の生い立ちや数度の結婚離婚、家庭環境などを詳しく追った。ただ、彼の半生を知ったところで、何かの役に立つだろうか。もとよりリンちゃんは戻らないし、娘を失った両親を慰めることもできない。その意味で4㌻を割きながら、この記事は何を伝えたかったのかが分からない。

◆踏みにじられた熱意

 それに対して、週刊新潮(4月27日号)は違った。渋谷容疑者の犯行が日本社会に投げ掛けた深刻な課題に照明を当てている。

 「たった一人で地域社会の常識を覆し、あまつさえ全国津々浦々、手弁当でPTAや見守り活動に精を出す人々の熱意を一瞬で踏みにじってしまった」と同誌は書く。

 どういうことか。児童生徒を犯罪や事故から守っていたその張本人が犯人だったからだ。保護者らは今後誰を信じたらいいのか分からない。活動に従事する人々を見る視線に疑心が含まれてくるようになる。一方、時間を割き自発的に活動している人々の善意が萎縮し、ただでさえ人が集まらず難しい地域活動やPTAがますますやりにくくなる。

 児童生徒は「家庭、学校、そして地域で育てる」が全国的に叫ばれている中で、渋谷容疑者の犯行はこうした地域ぐるみの子育て、見守り活動に強いブレーキをかけかねないのだ。

 最近では下校時に「大人に声を掛けられても答えるな」と指導されるようになった。少し前までは「あいさつ運動」が率先されていたはずだが、声を掛けて近寄ってくる大人が必ずしも善意ではないという悲しい現実に対処したものだ。

 見知った大人と声を掛け合って下校していれば、それだけで犯罪抑止になり、見守り活動になると思われてきた。「通常、地域コミュニティーに属していることが一種の抑止効果になるはずです」と同誌も書く。しかし、その見知った大人の裏の顔までは分からないということなのだ。

◆地域密着型の交流を

 「金沢市発祥の全国子ども見守りボランティア協議会の平寿彦代表理事」は同誌にこう語る。

 「『大人を疑ってかかれ』と教えることに異論もあるでしょうが、もう性善説が通用する時代ではありません。子どもたちに『どんな人が怪しいか』と尋ねると『黒いサングラスに白いマスクの人』と答えますが、現実にそんな人はいない。(略)話しかけてくる優しい人こそ怖いのだと教えています」

 こんな世の中でどうやって「地域」が子供たちを見守れというのだろうか。同誌は「重苦しい課題が突きつけられ」たと記事を結んでいるが、答えは出していない。

 あえて言えば、子供たちと地域の大人が、そして、大人同士も顔見知りになっておくことだ。それにはPTAよりも、もっと地域密着の育成会(子供会)活動やお祭りなどの方が子供との交流が図れる。

 同誌がそこまで踏み込まなかったのは、編集者も記者も仕事が忙しく、自身がそうした活動の場に時間が割けず、知らないから、と邪推してみる。

(岩崎 哲)